事実とは何か 17 <観察と思いつき、そして思い込みへ>

「仮説」というと学術的で日常生活とは無縁のように感じる言葉ですが、でも普段の生活の中にも思いつきのレベルの仮説がどの人の心の中にもあるのではないかと思います。


人間というのは、常に相手や周囲の状況を観察して行動しているので、小さな行動ひとつをとっても、「こうすればこうなるだろう」という仮説の積み重ねによるとも言えるのではないでしょうか。


以前の記事「仮説が思いつきであったことも記録する」を書いていて、私がなぜ、助産師の中での代替療法の広がりに対して批判的な記事を書き続けてきたのか、その動機のひとつが見えてきました。



<観察方法を誤ると思い込みになる>



助産師の中に代替療法が広がっていることを初めて認識したのが、10年程前でした。
それまでの私も里芋湿布を使ったこともあるのですが、そこからどんな世界が広がっているのかまでは見えていませんでした。


助産所の分娩以外の業務を定点観測するようになったのですが、同時にそれを勧められて効果を信じるようになったお母さんたちのブログも目に入るようになりました。


「ちょっと良さそう」ぐらいで取り入れている方から、どうしてそこまでこだわることになったのだろうと驚くような状況にはまり込んでいる方もいらっしゃいます。
特に後者のような方は、「母になること」のファッションというとらえかたもできるのではないかと考えています。


共通して言えることは、ものすごくお子さんの体調を観察されていることです。
そこから「症状」に気づき、「症状の変化」を観察し、そして「代替療法の効果」を観察して、刻々とブログに書かれています。


私たち看護職の基本である「対象の観察」なのですが、お母さんたちのその熱意と努力は私たちも顔負けという感じです。
でも読ませていただいて、何か痛々しい印象を受けていました。


その痛々しさはどこから来るのだろうと考え続けていたのですが、自分自身の分娩記録ノートを振り返って見えて来たのでした。


そう、私が「すごい発見をした」「それは私の観察力がすごかったからだ」とちょっと得意になっていた時期を見ているような感じだったのだと思います。
その後に、「なんだ思い込みだったのか」と認めなければいけない時期がくるわけですから。


ただ、子どもが相手の場合には、どんどんと成長・変化していきますから、その思い込みを真正面から認める機会はそのお母さんにはこないかもしれません。



<誤った観察方法から思いつき、そして思い込みへ>


妊娠・出産という機会は、その人にとってそれまでの人生では経験がないくらいの緊張感をもって、一人の人間(新生児)を観察し、守り育てることに直面します。
その不安はいかばかりかと、特に初めてのお母さんが冷や汗をかきながら赤ちゃんの世話をし始める姿をみて思います。


全身で赤ちゃんを観察している、そんな感じです。
「これは大丈夫ですか?」と質問がたくさんきますが、それもまた観察しているからといえます。


そのうちに、だんだんと自分で判断ができるようになったり、また新生児期や乳児期に特有の変化に対しても、不安だけれど「時期がくればおさまる」と待ってみることができるようになるのでしょう。


ところが代替療法というのは「答えを欲しい」という不安に入り込み、「こういう状況はよくない」と脅かし、「こうすれば良くなる、防げる」と誤った観察と思い込みを植え込みやすいことは、こちらの記事でも書きました。


せっかく対象(こども)を観察する能力を獲得する時期に、代替療法の思いつきレベルの仮説を受け入れてしまうことで、お母さん達は思い込みの深みにはまってしまいます。


特に助産師側から積極的に代替療法を勧めることは、お母さんたちの観察の目を曇らせることになります。



<観察して気づいたこと(仮説)は事実なのか>


個々の助産師にはたくさんの仮説があると思います。
たとえば分娩介助方法についても、授乳の支援方法についても、試行錯誤しながら「この方法がけっこういいかもしれない」といったものがあります。


ところが、助産師の世界に30年ほど身を置いてきましたが、そうした仮説を検証するシステムがないまま、「これが良い方法」という話が広がり、数年もすれば忘れ去られていくことを痛感してます。


こんなあたりも、やはり助産師の中に観察と記録、そしてそこから導き出される仮説を議論するという場がないことが一因ではないかと思います。


「観察して気づいたことは事実なのか」
「その観察方法は正しいのか」
「そうとも言えないこともあるのではないか」
「それをしてもしなくても変わらなかったのではないか」
「仮説が間違っていたなら、それを正す必要があるのではないか」
そのあたりを詰めていく過程がないのが、助産師の世界の特徴であり、代替療法助産師の中で無批判に広がっていく理由なのだろうと。


では、どうしたらよいのでしょうか?





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