散歩をする 3 <公園>

散歩をするようになってから、あちこちの公園に目が止まるようになりました。


歩きながら公園のそばを通過すると、遊んでいたり、ベンチに腰掛けて本を読んだり食事をしている人、ただぼーっと座っている人など、けっこうたくさんの人が利用しています。



ただ、横目でみるぐらいで、あまり私自身は公園を利用することもありませんでした。
通りすがりに公園内のトイレを利用したり、父がまだグループホームで生活していた頃に近くの公園を一緒に散歩するぐらいでした。



公園内に入っても周囲の人の目の方が気になる感じで、ぼーっとするどころかなんだかリラックスできずにいました。


たぶん、父と公園のベンチで過ごすようになった数年前から、公園内で過ごすことに慣れて来たのかもしれません。
そして、あちこちに整備された公園が増えたことに気づくようになりました。



<「公園」の記憶>



1960年代前半に、都内の官舎に住むようになった頃が、私の初めての公園の記憶です。
当時、最先端だった鉄筋コンクリートの真新しい官舎で、その敷地内にブランコや滑り台といった遊具があって遊んだ記憶があります。


幼稚園では、都内の広い遊園地か公園に行った記憶があります。
池があり、小さなこども向けの遊び場もあったと思います。あれはどこだったのか。
60年代前半ですから、まだできたばかりではないかと思います。


幼稚園の後半は、父の転勤に伴って山間部に引っ越しました。
その時に耳にした言葉が、ただの公園ではなく「国立公園の中に住むんだよ」だったような記憶があって、どんなにすごい公園だろうと期待が高まったのでした。
そこはただただ山と森のあるところで、私は野生児になり、人工的な公園とはしばらく縁がなくなったのでした。


1970年代終わり頃に看護学生になって、再び都内に住むようになりました。
寮の目の前には結構広い区立公園がありましたが、夜、外出から戻ってくるときに変な人が出そうで嫌だなという場所でしかありませんでした。


それからはしばらく、「公園」という言葉も存在も私の意識には上らない時期がありました。


少し気になり始めたのは、2000年代に入った頃でしょうか。
住宅街の小さな場所が、区立の公園に変わり始めたことに気づきました。
それまで誰かが住んでいた家があったはずなのですが、もう思い出すこともなく、ちょっとした憩いの場に変わっていました。


<公園とは何か>



Wikipedia公園を読むと、「公園」という言葉が日本の社会になじむようになってまだまだ日が浅いようです。


特に「都市公園」は1956(昭和31)年に都市公園法ができて体系化されたとありますから、私の記憶にあるあの官舎の小さな公園も、この法律が出来た直後に作られたのでしょう。


葛西臨海公園海上公園として、この都市公園法が制定されたことで実現にいたったのでしょうか。


都立公園の一覧を読んでみると、多くが1950年代から80年代に整備されているようです。
その時期に整備された公園が、今、公園としても成熟した時期を迎えたとでもいうのでしょうか、あるいは生活の中にとけ込んだというのでしょうか。


たくさんの人がそこに集まり、好きなように時間を過ごしています。


ふらりと公園に立ち寄っては、その公園が周囲の風景ととけ込んでいった半世紀ほどの歴史はどんな感じだったのだろうと想像するのも、また楽しい時間です。



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