食べるということ 14 <山羊を食べる>

少年が育てた山羊ですが、その後どこへ出荷され誰が食べたのかは全く記憶にありません。
その地域では、マグロの心臓を食べたり、少数民族の村ではアヒルの料理を出してもらったり、人生初の食べものの経験がたくさんありましたが、山羊の肉料理はありませんでした。


もしかしたら日常の食事用ではなく、イスラム教の特別な日の食事のために飼われていたのかもしれません。


初めて山羊肉を食べたのは、ソマリアでした。


そして、山羊を解体するところも難民キャンプの中で初めて見ました。
山羊の脚を縛って棒に吊るされてさばいていくのですが、イメージしていた血に染まるようなことは全くなかったことに驚きました。


恐る恐る見ていたのだと思うのですが、それまで生きていた動物が解体されるのを目の前で見たら食べられなくなるのではというのは全く杞憂で、その無駄のない解体の仕方にむしろ感激したのでした。
肝心の山羊肉は、どのように調理されてどんな味だったのかは思い出せないのですが、たぶん、トマトで煮込んだものをパスタにかけて食べたのではないかと思います。


アフリカからほうほうのていで帰って来たにも書いたように、市場にもほとんど食品がないような状況でしたが、幹線道路沿いにあるレストランで山羊肉入りのピラフがありました。


レストランといっても掘建て小屋で、ハエや虫も飛び交って衛生状態もひどいものでしたが、トマトで味付けしたピラフの香りは、空腹に悩まされていた私たちスタッフを引き寄せたのでした。
肉もトマトも探し出さなければ見つからないほどの量でしたが、大満足でその店を出ました。


そのピラフが盛りつけられた情景は今でも思い出すのですが、山羊肉の味はどんなものだったのかはどうしても思い出せないのは不思議です。


そういえば、当時はヴェジタリアンを目指していたはずなのですが、飢餓に近い空腹にはそんなこだわりも吹き飛ぶのですね。
のど元過ぎればなんとかで、その後日本に帰国してからはまたなんちゃってヴェジタリアンに戻ったのでした。



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