記憶についてのあれこれ 110 <初めて一人でバスに乗った>

通勤で利用している電車では、私学に通学する小学生と一緒になります。


入学した直後のピカピカの1年生は、1週間ぐらいはご家族が同行されていたり、駅に迎えに来ている様子がありますが、そのうちに一人か友達だけになっていくようです。


まだランドセルが体よりも大きく見えるし、さらに授業で使う物を入れたバッグを持って、あの平均乗車率が200%前後になる電車を、私と同じようにいくつかの路線を乗り換えていくのですから、すごいなあと思って見ています。


いえ、そこまで混んでいない帰り道の電車でも、一人で電車に乗っていることが怖くないのだろうかと、私自身の子どもの頃の感覚と比較しています。


小学生の頃に私が住んでいた地域では、日常の生活は徒歩圏内で済んでいましたから、少し離れた地域に行くには父が運転する車でした。
バスを利用したのは、数えるほどではないかと思います。


小学5年生になって、習い事のためにそのバスに乗る必要が出てきました。
今、同じ路線を乗ってみれば20分程度の時間だったのですが、一人でバスに乗ることはとても緊張しましたし、周囲の大人の顔を見て「怪しい人ではないか」といつも疑っていたような気がします。
冬になって日が暮れるのが早くなると、真っ暗な道をバスに乗っているのはとても怖かったのだと思います。
バス停まで迎えに来ていた母の姿を見て、ホッとした気持ちを未だに覚えています。


それに、当時はもちろんICカードもなかったので、たしか回数券を使っていたのですが、「失くさないで払う」ことも緊張の一つだったかもしれません。
また、1970年代はまだ子どもに対しては厳しい時代だったので、小学5年生ぐらいだと座席に座ってもいつもあたりを見回して、「譲らなければいけない人が立っていないか」気にしていました。
「子どもなんか立ってろ」という雰囲気を醸し出した、こわ〜い大人がたくさんいたのだと思います。
あるいは子どもがはしゃいでいると、「うるさい」と怒鳴られることはしばしばありました。


子どもにとっては、いろいろな意味で怖いバスだったのかもしれません。


通勤電車で小学生を見かけると、私の小学5年生とつい比べてしまいます。


まず、電車に一人で乗れるなんてすごいですね。
私は5年生になっても一つの路線のバス停からバス停でさえ緊張していたのに、乗り継いで通学していることもすごいですね。


小学1年生でどうやって学校と家の地理を覚えるのだろう、通学途中の風景はどのように記憶されて道を覚えるのだろう。
その通学の間、知らない大人に囲まれた世界は、どんな風に感じているのだろう。
大人の腰ぐらいの背丈ですから、その高さからぎゅうぎゅう詰めの電車内の世界はどんな風に映っているのだろう。
時々、理不尽なことや傍若無人なことをする大人はどんな風に目に映るのだろう。
怖くないのかな。


でも入学してしばらくすると、電車の中はまるで教室の延長の場のようです。
読書に集中している子もれば、友達同士の会話がはずんだり、時には歌を歌い出したり。
さすがに電車内を走っている子どもには、「おばさん」は「危ないから走らないように」注意することもありますが、大人に注意される光景も珍しい昨今です。


私の5年生の頃とは違って、目の前の小学生は電車の中も大人も怖くないのかもしれませんね。
まあ、乳幼児の頃からこうした電車やバスに乗って来たという場数の違いもあるのでしょうが。


小学生で一人で電車に乗って通学している子をみると、なんだか大人っぽく感じてしまうのは、私自身の経験との比較からくるのかもしれません。




「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら