シュールな光景 3 <現実感を感じない写真が増えたのは何故なのだろう>

先日、元夫に殺害された女性の事件は、元夫が2歳の子どもを会わせにきた元妻を刺殺したという続報を読んで、なんとも深淵に引きずり込まれていくような気持ちになっています。


日頃、出産前後のたくさんの御家族に接している中で、時に気になる関係性を感じ取ってしまうことがあります。


でも、たまたま入院とか出産直後といった家族関係が大きく変化する中での、ちょっとしたトラブルの可能性もありますから、そこから深くDVの可能性を見極めることもできませんし、そういう先入観で接することも自重しなければならないので、ただただ見守るという重荷としてのケアなのかもしれません。


ところで、リンク先のニュースに使われている写真が、記事の内容とは正反対の「幸せな家族像」をモデル役が演じていることに、シュールだなあと思いました。


最近、ネット上の記事にこういうイメージ写真が添付されているのをよく見かけるのですが、いつ頃からの変化だったのでしょうか。


記事の内容は日本の話なのに、外国人(この場合、多くが白人)のモデルが使われていたり、背景も生活感の感じられないインテリア雑誌の雰囲気です。
ちょっと前なら、「生活臭がない」といわれるようなすました写真です。


タレントの方が生活感のある等身大の自分をアピールし始めたのに逆行するかのように、一般の人たちのほうがなんだか現実感を感じさせないよろいをまとっていく感じですね。


その写真素材・動画素材を提供している会社のHPを見ると、「表現豊かな広告用ビジュアル」とあって、「ああ、それそれ。違和感を感じる写真は」と思ったのでした。


写真には何が写っているのだろう映像には何が写っているのだろう



なんだか写真や映像があることで、むしろ文章で表現された記事のリアリティが感じられなくなるのはなぜだろうと、気になっています。
ましてや殺人事件という深刻な内容に、こういう写真が選択されるようになった社会の変化は何があるのでしょうか。


シュールですね。




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