境界線のあれこれ 73 <両親の「自宅」と「施設」>

両親の生活の場が自宅から施設へ移ってから、数年が過ぎました。


「自宅から施設へ」といっても、老人ホームとイメージする施設にひとっ飛びに変化したわけではありませんでした。


父は、認知症の小規模グループホームで3年ほど過ごした後、脳梗塞で半身麻痺になったことを機に介護療養病院へ移りました。


母は、心臓の手術が終わって自宅でまたすごすつもりでいましたが、術中の空気塞栓で半身麻痺になり手術翌日からリハビリ病院を探し、リハビリ病院でも入院直後から「退院後は施設か自宅か」の選択を迫られました。
半身麻痺のリハビリや生活上の介助と、心臓疾患の悪化を考えると、24時間看護師がいて医療機関と連繋している施設しか選択はありませんでした。


高い入居金を支払い、その老人ホームが母の生活の場になりました。
トイレ付き個室で日当りのよい部屋で、スタッフの方々も突然半身麻痺になった母の気持ちをなんとか支えようと、母の気分にもいろいろと対応をしてくださいました。
買物や他の専門病院受診の付き添いなど、こまめに対応してくださり、ここが母の終の住処になるのだろうと、両親の「自宅か施設か」の問題が一気に起きて私たちも心身ともに疲弊していた時期がなんとか終わるのだろうと安堵しました。


幸い母の半身麻痺は空気塞栓だったためか、2年ほどでだいぶ麻痺側が回復して、一人でそのホームの周囲へ散歩に行けるほど回復しました。


元気になると、そのホームが窮屈に感じたようです。
今まで見守られていたことが、監視されているような不自由さになるのでしょうか。
ある日、突然、「別の施設に行く」と一人で決めてしまいました。
医療スタッフのいない、サービス付き高齢者住宅です。
見守りはあるけれど、医療対応は全くありません。


母の生活の場ですし母の人生ですから、私たちはあきれながらも希望を聞き入れるしかありませんでした。
もし母が体調を崩して入院になったら、また入院直後から「施設か自宅か」で探しまわらなければいけなくなるのかと、あのこちらの体調も崩すほど大変だった状況がいつ再来するかと戦々恐々の毎日です。


両親の自宅は空き家のままです。
母の気持ちが揺れて、まだ処分には至っていません。


両親にとって自宅とはその空き家になった家のことなのだろうと思います。



ところがこの数年の変化をみても、「自宅」や「在宅」が違うニュアンスになってきたような気がします。
もう少し、続きます。




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