行間を読む 62 <「法は人に不可能を強いてはならない」>

一生に一度あるかないかの幸運に遭遇したので、もう私の幸運は使い果たしたかもしれません。なんといっても一勝九敗の人生ですから。


ところが、「一生に一度あるかないかの不幸や悲劇」にはなんだかまた当たりそうな気がするところが、人間の不安の不思議さですね。


私にとっては、あと10年ぐらい働くであろう医療現場で、「一生に一度経験するかどうかぐらいの確率で起こることに遭遇する」ことへの不安が常にあります。
退職したらこの不安から解放されるのだと、その日を心待ちにしている自分がいる反面、やはりこの仕事が好きだったのだという寂しさとの間で揺れている感じです。


医療事故やその裁判として報じられるニュースからは断片的な情報しかわからないのですが、おおむね、「ああ、そのスタッフにとっては一生に一度遭遇するかどうかのことだったのだろうな」と思う内容です。
そして「なぜ他のスタッフの勤務の時でなく、自分に当たってしまったのか」と思うような。


私がブログを始めようと思ったきっかけは、さかのぼれば2004年頃から医療事故の報道に対して緊迫感と不安を持ったこともひとつでした。


こちらの記事に「侵襲」という言葉の説明を紹介しましたが、医学的な治療というのは生体に侵襲を加えるものです。
医療事故が怖いということももちろんありますが、その治療が許されている医師にはまた大きな責任が伴うということに、あまりに身近な存在すぎて気づいていなかったのでした。
産科医の先生が逮捕されるニュースを見るまでは。


先日、待ちに待った本が配達されました。
在庫切れでしばらく待ちました。

「なぜ、無実の医師が逮捕されたのか 医療事故裁判の歴史を変えた大野病院裁判」
安福謙二氏、方丈社、2016年
(「福」は示偏)


当時、ネット上で多くの医師がさまざまな情報や考え方を出し合って、大きなうねりとなっていきました。
ニュースから得られる情報では、どうも辻褄があわないという印象がありましたが、ネットでの議論を読むほうが周産期医療スタッフとしても納得できる部分が多かったのでした。


一気に、この本を読み終わりました。
どれだけ慎重に手術を進めていったか。
手術の時系列を追っていくと、たとえばWikipediaの「福島県立大野病院産科医逮捕事件」に書かれている経過は当時ニュースで伝えられていた内容ですが、この本を読んで証言とは異なる内容が社会へと広がっていったこともわかりました。
ようやく、この「事件」の全貌が見えました。


「一生に一度遭遇するかどうかの事故」にあたる怖さはありますが、この本を読んで、10年前に知らなかった法の考え方に勇気づけられました。

法は人に不可能を強いてはならない


人に不可能をしいてはならない。これは法の基本だ。
法は赤ちゃんに仕事をしろとか、病人でも仕事をしろ、とか不可能を強いるものではない。誰もが守れない、不可能を強いる結果となるならば、それは法とは呼べない。法の執行にあたっても不可能を強いたら法治国家ではない。
危険で難しい、それも滅多にないケースでの結果を「業務上過失致死」に問おうとしている。これは不可能を強いることにほかならない。


医療とは何か。
医療の「過ち」とは何か。



10年後、20年後には社会の感情から医療従事者が拘留されたり、医療施設が閉鎖に追い込まれることがないような社会へと変化していけるとよいのですけれど。




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