気持ちの問題 37 <通勤電車の快適性>

明治時代の殺人的な通勤風景とまではいかなくても、1970年代から80年代の駅員さんが乗客のお尻をおして電車に詰め込んでいた風景は記憶にあります。


冷房もなかった時代は、ほんとうに悲惨だったことでしょう。
体力がない人や女性、あるいは障害を持った人は何本も列車を見送って、いつ乗れるかともわからない状況だったのですから、それを考えると現在はまだましだと折り合いをつけるしかないですね。



通勤・通学であの満員列車を利用している人たちの気持ちも、さまざまではないかと思います。
たぶん「2階建て車両」と言われても、きっと大半の人が「そんなことは求めていない」と感じるのではないかと思うのですが。
「どんなことを望んでいるのか」「こんなアイデアがある」と、全体のアンケート調査でもしてくれるとよいのにと思います。


10年、20年という長さでみれば、さまざまな点が改良されています。
たとえばホームドアがついたことで、混雑時にも歩きやすいホームが増えました。
ホームドアがあるかないかだけで、私は混雑時の不快感がだいぶ違います。
ただし、予算の関係もあるでしょうし、再開発中の駅などでは後回しになることもあるでしょう。
すべての駅につけられる日を心待ちにしています。


また10年、20年の間に電車内のいろいろな変化があって、隣りの人のスマホの操作などで脇腹に肘鉄を受けることが増えたり、大きな荷物やリュックを担いで乗る人が増えたり 、そういう不快感はマナーやルールで語られやすいのですが、もっと別の解決策もあるのではないかと思います。


一気に新車両にすることを求めるのは現実的ではないのですが、次の時代には車両の作りが変わる予定であることを知ることができるだけで、我慢できることもあります。



たとえば、最近、一部の電車に導入されていますが、乗車口が広く、さらに乗車口のところにベビーカーや大きな荷物あるいは一人が優に立てるぐらいのスペースが確保されている車両は、同じ混雑度でも出入り口の混雑緩和になると思います。
ついでにその出入り口の広くしたスペースは「優先スペース」にしておけば、てすりにつかまって立っていた方がよい方やベビーカーや大きな荷物を持った方が居やすいのではないかと思います。


また、30年ぐらいの間に日本人の体格が男女共に大きくなったので、現在の座席ではあまりに窮屈なのだと思います。
「詰め合って」というマナーを優先するよりは、座席が一つ分減っても一人分のスペースがしっかりあれば、隣りの人との無用な心理的摩擦も減るのではないかと、私は思っています。


いろいろな感じ方があるでしょうから、まずはそれを把握することが通勤電車の快適性に向けての解決策の第一歩ではないかと思います。


そしてたとえば「あと10年後はこんな風に改善されています」という見通しがあれば、もう少し耐えられそうですね。



人の生活スタイルを上からのひと言で変えられてしまうようなことは、前近代的な解決方法で嫌だなあと思います。




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