気持ちの問題 39 <全体の色と個の色>

利用しているプールで、更衣室のロッカーの鍵の色がいつ頃からか変わりました。
だいたいどの施設でもベルトの色は、女性はピンクや赤系の明るい色で、男性はブルーか暖色系でも茶色ぐらいです。


そのプールでは、女性の更衣室でもブルーやグレーなど4種類ぐらいのベルトになって、ロッカーにアトランダムにささっています。
もしかしたら、「女性はピンクや赤」という今までの社会の決まりごろに対して、「そう決められるのは苦痛。個人個人が好きな色をつけたい」という意見が増えて来て変化したのでしょうか。
真相はよくわかりません。



色に対する社会の感覚に対して、最近ここ数年ぐらいでしょうか、ちょっと気になることがあります。
それは「黒」が好まれるようになったことです。


1980年代頃にも、DCブランドの影響で黒い服が広がった印象があります。
コムデギャルソンとかコムサデモードなど、黒や濃紺を貴重としてシンプルなものがとてもおしゃれでした。
当時、20代だった私も、ちょっと影響を受けていました。
暖色系やカラフルな模様などが苦手で、黒っぽい服を選んで買っていました。
最近はその反動か、年齢のせいか、明る色へと好みが変化しています。


ですから、黒っぽい服も個人の好みであってかまわないのですが、当時意識していたことは、よほど「コムサデモードやコムデギャルソンの服である」と明らかにわかるもの以外は、全身を黒づくめにせず、何か別の色を取り入れることでした。
「喪服」のようになってはいけない、そこだけは厳然とした線引きが私の中にありました。


ところが最近、全身ほとんど黒という組み合わせや、真っ黒なリボンなどが普段着として取り入れられているようです。
一瞬、葬儀にでも行かれるのかとおもうぐらい真っ黒です。
黒いリボンというのは、喪章のように私には感じられるのですが、そうではないと感じる方も増えて来たということでしょうか。


あるいは、黒は死を連想するとか忌み嫌うとか、そういう感覚も変化しているのかもしれません。
お産が始まって入院の際に、全身真っ黒の服で入院される方もいらっしゃって、さすがにちょっとびっくりしました。


でも、よく考えれば、色に意味合いを持たせるのも社会の気分のようなところもあるわけで、「黒が好き」「黒を見ても不幸を連想しない」という個人の感覚が大事にされる時代になったということかもしれません。


となると、「ブラックフォーマル」という感覚が崩れて来たということで、「ご不幸の際には黒の喪服を着るべき」という全体の方向性を決めるルールの意味は何だったのかということでもあります。


Wikipediaの「喪服」には、「江戸時代まで、喪服は喪主に限らず、白が関西では一般的であった。親族は白または水色の無紋の麻の上下」とあり、黒が使われるようになったのは明治以降だと書かれています。
私だったら、水色がいいなと思ってしまいました。


以前、タイの前国王が亡くなられた時、たしか国王が好きだった黄色を身につけて喪に服していることがニュースで伝えられていましたが、その個人が好きだった色を尊重するというのもいいなと思います。
私だったら好きなフリージアの花一輪か、グリーンの何かがいいなと当時思いました。
もともと葬式は不要と考えているのですが、何かの機会に私のことを思って集まってくれるのなら、皆が楽しく思い出話をしてくれるほうがいいので、好きな格好で気楽に集まってくれればいいと思います。
黒でしんみりされるのは嫌だな、と。




ところがその後、選挙運動で私の好きな緑色が強調されるのを見て、「他の人に自分の色の好みを押し付けるのも嫌だな」「色に政治色を持たせて統一させるのは嫌だな」と感じました。
色に対する好みはあくまでも個人のものであって、そこに社会のルールとか政治性が意味付けられて、社会全体に使うことを強く求められることに最近は警戒心があります。


色について個人の好みが尊重されれば、「その色や形でなければダメ」という思いこみや全体からのしばりから解放されるのではないかと思いながら、グラックフォーマル売り場をながめています。





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