記憶についてのあれこれ 115 <腕時計>

通勤途中、ふととなりの女子高校生の腕時計が目に入りました。
今どきの学生さんたちも腕時計をしているのかと、ちょっと不思議でした。
見渡すと、まだまだ腕時計をしている人が結構いるのですね。


日常生活の中で腕時計をしなくなって、かれこれ20年以上になります。


初めて腕時計を買ってもらったのは、高校入学の時でした。
青い文字盤で、ブレスレットのようなデザインのものでとても気に入っていました。
看護学生になってからは、少し男性っぽいデザインで文字盤が大きいものに変えました。
実習で、脈拍を測ったり点滴の速度を調節するのに、秒針がはっきり見えることが必要になったからです。
ブレスレットのようなオシャレな初代の腕時計は、外出用になりました。


1990年代に入ってからは、仕事中に腕時計をすることがなくなりました。
院内感染標準予防対策が広がる少し前から、手洗いの徹底や血液や体液の付着を避けることが少しずつ広がっていったので、処置中に血液などが腕時計についたままになるのも嫌だったし、手洗いの度に腕時計を外すのも面倒になったのでした。
そこで、仕事中は懐中時計をポケットに入れることにしました。


腕時計を外すと、案外と身軽で動きやすいことに慣れて、日常生活でも腕にはつけずに持って歩くようになりました。


2000年代に入ると、携帯電話の待ち受け画面が時計代わりになり、腕時計を持って歩くこともなくなりました。
10年ほど前に、思いっきり身辺整理をした時に腕時計も処分したのだと思います。
自宅には今、腕時計はありません。




2年ぐらい前まで父がまだよく話をしてくれていた頃、面会に行くといつも「腕時計はしないのか」と尋ねられました。
ほとんど物に執着のない父でしたが、坐禅の本と腕時計には特別の思いがあるようで、いつも腕時計を肌身離さずしていました。



私が腕時計を持っていないと聞けばがっかりさせるかもしれないと思って、「腕時計は家にあるよ。これが時計代わりだから」とiPhoneを見せると、「ほう」とちょっと物足りなさそうな反応です。
「お父さんの腕時計はかっこいいですね」と言うと、とても満足そうに腕時計を撫でるのでした。



面会の度に、「腕時計はしないのか」から始まる会話の中で、父の腕時計についての思い出を少しでも知りたいと試みたのですが、記憶の深い部分にはたどり着くことができず、そしてしばらくするともう腕時計の話もしなくなりました。




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