タイの山岳少数民族の料理の番組を観ていて、出来上がった食事を、竹で編んだ床の上にみんなで円くなって座って食べている様子が映し出されて、懐かしくなりました。
私が居候させてもらった家では椅子に座って食べていましたが、漁村や農村にexposureで入る時には、床に座って食べていました。
ただ、番組では料理を作ってくれた女性達が主役なので、コウケンテツ氏と女性が車座になって食べている映像でしたが、普段は違うのかもしれないと想像しました。
地域や状況にもよるのでしょうが、もしテレビクルーも含めて客人が来た「ハレ」の食事なら、あの場に女性は座っていないかもしれない、と。
あちこちの村を廻っていた時に、食事の時間になるとふと女性が消えてしまうことがありました。
せっかくその料理を作ってくれたのですから、「一緒に食べましょうよ」と声をかけても、「私はおなかいっぱいだからいいの」とか「恥ずかしいからいいの」と言って、ふといなくなっていまうのです。
客人の私は、家の主や息子といった男性陣と、気まずい雰囲気の中で食べるのでした。
何かのお祝いやお祭りのような、本当の「ハレの日」の食事も、時々経験しました。
早朝から市場へ買物に行き、火の前に座って何時間もかけてたくさんのごちそうを女性達が作ります。
ある日、「新生児のお祝い」があるとのことで、助産師の私なら関心があるだろうと友人がわざわざ少し離れた村へと連れて行ってくれました。
あまりその新生児の記憶がないのですが、印象としては生後1週間ぐらいのか細さだったので、日本のお七夜のようなものだったのでしょうか。
その村はイスラム教の人たちの村でした。
料理の準備が終わった頃、ハッジが登場して新生児を祝福し、皆でお祝いの食事をしました。
私は特別な客人として一緒に食べたのですが、その場にいるのはほとんどが男性でした。
「あ、この光景はどこかで見た」と、子どもの頃に年末年始を過ごした祖父母の家でのことが思い出されたのでした。
祖母と母が忙しく立ち回ってお正月料理を作り、元日の朝、見事に料理が並べられても祖母の姿はありませんでした。
台所の隅にすわり、祝いの席に滞りがないように目配りをしているのかのようでした。
旧約聖書と新約聖書を読むようになってから、女性がこうした食事の場で采配をふるってきた様子が描かれている箇所がいくつもあることを知りました。
女性が宴の裏方になってきた事実は事実として、それが女性蔑視かというとそうだけでもないのかなということを、東南アジアの村のハレの日の調理に参加して感じました。
調理の合間におしゃべりをして、出来上がった料理を味見しながら楽しんでいるところもあります。
もしかしたら堅苦しさの中での食事よりは、よっぽどおいしいかもしれません。
ただ、そういうことも合わせて、「孤食」と表現しているものは何なのか注意が必要かもしれないと、ちょっとこの表現に警戒感が出てしまうのです。
20年ほど前に亡くなった祖母ですが、私が今一人でベトナム料理店に入り、ビールと揚げ春巻きを堪能していることを知ったらきっと、驚くのではないかと思いますね。
「女性が一人でせいせいと食事に集中できるなんて、いい時代になったね」と感じるでしょうか。