発達する 15 <「発達する」の語源について>

「発達する」という言葉の概念も、所変われば受け止め方も変わるかもしれないことをこちらで少し書きました。
そのコトバンクで紹介されていた「大辞林 第三販」の解説には、もう少し続きがあります。


ここから推察されるように、「発達」とは、元来、個体発生の過程が、遺伝その他のあらかじめ生体に仕掛けられたなんらかの機制によって定まっているという概念(先決説または予定説)の表現であることがわかる。

発達障害」という用語が多用されるようになったが、原語はdevelopment disorderであり、訳語から理解されるような早期に現れる障害という意味合いでは不十分で、素因性の、というニュアンスが示唆されていることに注意しなければならない。発達が、以前は完璧に至る上昇的変化だけを表すことが多かったのも、先決説的な完態の観念が著しかったためであろう。しかし、この西欧的な先決的固定観念も、1950年代以降、世界的に反省の機運にあい、ここから発達研究の新しい展望が急速に開けていった。


予定説という言葉を初めて知ったのは、プロテスタント系の教会に通うようになってからでした。
リンク先のWikipediaの説明にあるように、「神の救済に預かる者と滅びに至るものが予め決められているとする(二重予定説)」という考え方があることを知りました。


私が本格的にキリスト教に近づいた時には、東南アジアでカトリックからプロテスタント、そして原理主義的な宗派やオカルト的な宗派など、キリスト教と一口には言えないほどさまざまな信条があることを知ったあとでした。
そして、たまたま出会った教会は、こういう予定説に対しては批判的な立場であったことは幸いでした。


「予定説」という言葉は、たまに会話の中で聞くぐらいだったので、学問的なことは何も知りません。
ただ、もしそういう考えが社会に広がれば、「我こそは正義」に似た押しの強さが怖いなと漠然と感じていました。
どのような状況にあった人たちが、どのようにしてこういう考え方にたどり着いたのでしょうか。



「三位一体」や「聖霊」という言葉が理解できずにキリスト教につまずいた私ですが、この「予定説」も理解できなくてよかったのかもしれません。


ただ、冒頭で紹介した解説を読むと、原語の「巻物を開いて中身を読む」「もつれをほどく」といった意味から発したからこそ、「先決説や予定説」をひっくり返してまた考え直すことができたようにも読み取れます。


いやはや、「発達」という言葉ひとつとっても、本当に意味が深いですね。




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