事実とは何か 36 <災害時の短期・中期・長期視点>

東日本大震災福島第一原発事故のあとは、たしか半年ぐらいNHKの画面にはさまざまな情報が文字スーパーで表示されていたと記憶しています。


被害の状況を伝えるデーターとともに、通行止めだったどこどこの道が復旧したといった情報が目に入ってくることで、「これだけの大災害のあとでも、おおよそ○○日でこれぐらい復旧するのか」と知る機会になりました。


甚大な被害があった地域に比べれば、私が住んでいる地域は2週間ぐらい日用品や食料に困る程度でしたが、それでも余震が続き、原発事故の行方もわからない状況で、毎日が非日常であり非常時でした。
今でも地震速報の音を聞くと鳥肌が立ちますし、正直な所、大震災関連の番組は今も見ることはありません。
友人も先日、そういう番組を見たら吐いてしまったと言っていました。
「忘れてはいけない」とそういう報道が繰り返しされる意味もわかるのですが、決して忘れたり風化しているわけでなく、なんとか心を平常に保つために封印している人もいるのだろうと、私自身は思っています。


そんな私でも、不思議とあの文字スーパーは感情を抑えて見ることができます。
たとえ遠い地域でも、文字スーパーが画面からなくなるまで、できるだけ情報を追うようにしています。


なぜなのだろうと、自分自身でもよく考えていなかったのですが、おそらく、そこに映し出される情報を見ながら、「自分がその災害の中にいたらどのように行動したらよいか」「どの程度で、どのようにインフラなどの復旧や生活再建が進んで行くのか」をシミュレーションしているのではないかと、ふと思いました。


これは、被災地の悲惨な状況や被災された方へのインタビューが繰り返し放送されるだけの情報では得られなかったことではないかと思います。


<「ライフライン情報」>


先日の九州北部記録的豪雨も、テレビやネットでずっと情報を追っていました。
災害といっても、地域が違えば全く状況がことなり、どれ一つとしても同じ災害はないわけで、すべてが不確実な状況だと、改めて思いました。


線状降水帯という言葉を初めて知ったのが、2年前の鬼怒川水害の時でした。私の地域もあの線状降水帯にかかっていて、近くの河川の氾濫が心配でずっとニュースを追っていました。
今回も線状降水帯がずっと天気図にあるのを見て、あの時の緊張感が甦ってきましたが、被害の大きさに、本当に大災害というのは予測不能だと絶望感の気持ちでした。


ただ、それでも、東日本対震災の頃に「こんな情報があったら」と願っていたものを、今回見つけました。


NHK NEWS WEB」に「ライフライン情報 福岡」というページがあって、各市町村の道路やインフラ、あるいは学校などの情報が細かくアップデートされていたことです。


これが、あの東日本大震災の時に私が欲しいと思っていた情報網でした。
「断水はいつまでつづくのか」
「どこの道路が閉鎖されているのか」
「いつごろ、復旧するのか」
避難所で不自由な避難生活をされている方々であれば、「いつごろ入浴できるか」というあたりも喉から手がでるような情報ではないかと思います。


「私自身の得た教訓のようなものー全体像をとらえる」にこんなことを書きました。

フェーズ1(超急性期ー早期72時間)では、今後の見通しをどのような情報によってたてるのか。

「見通し」、言いかえれば「短期・中期・長期の3つの視点」であり、不自由で非常な事態だからこそ、冷静な行動のために必要なのかもしれません。


文字スーパーやライフライン情報などはここ10年ほどの報道の変化ではないかと思うのですが、被災地から離れたところにいる人にも思考や行動の変化を起こしているのではないかと思います。





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