存在する 4 <存在そのものが奇跡>

父は、今年の始めの頃にかかった感染症のために残されていた体力が奪われ、ADL(日常生活動作)が著しく低下しました。
麻痺が無かった方の手も、腕を上げたり物をつかむ力が失われていきました。
笑顔どころか表情もほとんどなく、そして声も失いました。


認知症の終末期に入ったことを理解しました。



2ヶ月ほど前にまた発熱し、今度こそと父の最期を覚悟しました。
呼吸さえ苦しそうにしている父のそばで、ただ座っているしかない面会がしばらく続きましたが、なんとかこの感染に父は打ち勝って、担当医とスタッフの方々が「ダメもとでまた口から試してみましょう」と言ってくださり、食事が再開されました。


父には、まだ「食べたい」と思う気持ちがあったようで、1ヶ月程の絶食期間のあとにまた食べることができるようになりました。


状態が悪くなってからは面会の頻度を増やしていましたが、正直なところ、「いつまでこの状態が続くのだろう」と、父の認知症が始まってからの十数年の私の疲れもありました。
直接の身体ケアは施設のスタッフの皆さんが担ってくださっているのですが、こちらの記事で紹介した「重荷としてのケア」とでもいうのでしょうか。
父が父の人生の最期を闘っていることを、ただただ見守るしかないというあたりです。


重い足取りで父の病室に向かい、状態が悪化していないことにホッとしながらも、「いつまで続くのだろう」という気持ちが首をもたげそうになります。
ところが、眠っていた父が目を覚ましたので、「こんにちは」と声をかけると、ちゃんと眉間から瞼のあたりを動かすことで「(ああ)」と返事をしてくれるのです。
そのあとは、また無表情のまま目をつぶってしまうのですが。


それだけで、「ああ、また面会に来よう」と気持ちが揺さぶられるのです。


そして、最後に笑顔を見てから数ヶ月、最後に声を聞いてから2ヶ月ほどたったある日、いつも通りに父の病室に入って声をかけた時、以前と同じ笑顔で何か一生懸命しゃべろうとしていました。
「ほにゃほにゃ」にしか聞こえなかったのですが、たしかに数語を話そうとしていました。そしてその日は、私が帰ったあともスタッフに「お腹がすいた」と話したそうです。


そして、またその日以来、笑顔も声も無くなりました。
もしかしたら、回復のために力を使い果たした頃に突然話し始める状態なのかもしれません。


ああ、無理に笑顔を見せたり声を出さなくていいから、そこで眠っているだけでいいから、ずっとこのまま生きていて欲しい。
こういう面会の日々が、平和な時間のまま続いて欲しい。


看護職として人の死を看取ってきたので、けっこうクールに「最後は何もしないで」と心の準備があったつもりでした。
ところが、父の存在そのものが奇跡であることに、大きく揺さぶられているのです。





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