運動のあれこれ 2 <後で思い返すとヒヤリとする>

市民運動の末端にいた頃の自分を思い出すと、今もヒヤリとすることがあります。


先日も、パイナップルの記事を書いていて、冷や汗がでそうでした。
え?なんだか訳がわからないですよね。


その記事の中で、パイナップルプランテーションで働く人たちが「ヘリコプターで空中から農薬が散布される中を身を守る物も支給されずに働く」ことを書きました。
それ自体は事実なのですが、なぜ「ヘリコプターで農薬を空中散布するのか」について、全く知らなかっただけでなく、私自身がネスレに代表されるような多国籍企業への批判に勝手に結びつけてしまっていました。


多国籍企業はヘリコプターを所有することぐらい余裕があることでしょうから、労働者が畑を回って農薬を散布するための人件費などのコストを抑えるために違いない、そう思い込んでいました。


ところが、パイナップルの「栽培」の以下の説明を読んで、ちょっとヒヤリとしたのでした。

パイナップル科の植物の多くと同様に、パイナップルもあまり土壌には依存しておらず、熱帯のやせた土壌や乾燥した環境で良く育ち、降った雨水を葉の付け根に集めて葉面から吸収する。そのため、葉面散布肥料が効果的である


それ以上のことは私にはわからないのですが、ヘリコプターでの空中散布はパイナップルの生活史を踏まえた方法なのかもしれません。


また、八重山パインの生産者さんたちのサイトを読むと、3年かけて育てたパイナップルの出荷のタイミングの難しさについて書かれています。

しかも熟度を上げて待ったなしで収穫して、その日のうちに出荷作業を終えないといけないのがパイン。(中略)西表島から出荷するには船しか輸送手段がない。西表島は離島のさらに離島だから難しい面はあるな。


アメリカ開発援助庁の無償援助による国際空港建設も、パイナップルをその日のうちに日本へ輸出することが主な目的でしたが、プランテーションの技術者から話を聞けば当時の私もまた違った気持ちになったかもしれません。


ただ、そのプランテーション側の技術者に会うことさえ命がけの覚悟が必要なほど、当時は、現地では強引な経営が問題だったのですが。




<重層的に物ごとをとらえれば、「白黒」にならなくてすむ>


「エビと日本人」の中で、著者の村井吉敬氏がエビの生産量をあげるためにエビの眼を切断しなければいけない技術者の苦悩を書かれています。


1990年代初頭に、私も日本向けのエビ養殖場を見て回ったのですが、「マングローブ伐採や地下水くみ上げ、あるいは排水による環境悪化」「養殖地の不正な取得」「富裕層と貧困層」といった視点でしか問題が見えていませんでした。
技術者は私にとって、「悪」の立場であったのです。


パイナップルやバナナも同じでした。
多国籍企業側にいる人の話を聞くということは、嫌悪感さえ感じるほど一方的なとらえ方でした。


ところが、村井氏はその技術者に会って、話を聞き、そして親しみも覚えたと書かれています。


このあたりが、のちにニセ科学の議論で「是々非々」という言葉と出会ったことに通じるものがありました。


物ごとを重層的に観るようにすれば、「相手が悪、自分が善(黒か白か)」という感情から解放されて別の世界が見えてくる。
それが、私の運動(movement)の姿勢には最も欠けていたことだと、今頃になって冷や汗が出るのです。




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