気持ちの問題 46 <「上から目線」の10年ひとむかし>

「上から目線」という言葉をなんとなく耳にするようになったのは2009年ごろでした。


なぜ2009年だという記憶があるかというと、kikulogで「『上から目線』とは何か」という記事を菊池誠先生が書かれていたからです。


なんとなくその頃から耳にしていたけれど、その言葉が何を指しているのか、なぜそういう言葉がでてきたのかよくわからなくて、もしかしたら「説教じみたり、人に教え諭すような言い方」のことなのかなと漠然と思っていました。
「老婆心ながら」に反発を感じるのに近いニュアンスなのかと。


それ以降も、現実の日常生活の中では周囲に使う人はいなかったのですが、最近、30代のスタッフがその言葉を使っているのを聞いて驚きました。


「褒められる」ことも、「上から目線」だと感じるらしいことに。


<褒められて喜ぶ時代へ・・・90年代>


1980年代初頭に新卒で働き始めた頃、細かいことでたくさん注意されながら仕事を覚えていきました。
「きちんとできて当然」「できない部分は注意されながら覚える」、それが当然と思う時代だったのでしょう。


その頃から、少しずつ、特に子育ての中では「子どもを叱らない」「注意しない」ことに注目されていった記憶があります。
今、親になっている世代はこの時代の変化の中で育った世代が多いことでしょう。


子どもだけでなく、大人も褒めるような時代になり始めたのが90年代かもしれません。
たとえば出産直後のお母さんに、「よく頑張りましたね」「その授乳の仕方でいいですよ。上手ですよ」と声をかけるだけでも、感激して泣くお母さんがいました。


ちょうど、時代は30代で初めてお母さんになる人が増え始めた頃です。
それまで人生経験を積み、プライドを持って生きてきた年齢層にとって、妊娠出産育児というのは「思うようにいかないこと」の連続に映るのではないかと思います。
ですから、ちょっとした褒め言葉が背中を押してくれるのかもしれないと、当時はなんとなく感じていました。


助産師のほうが20代と年下であっても、褒められると自信につながるようでした。


<自分を否定されることに敏感・・・2000年代>


おおざっぱな印象の話ですが、2000年代に入る頃から、私たちスタッフ側のちょっとした言動に傷ついたことを表現する方が増えました。


私の世代より少し上のスタッフだと、まだまだ「患者さんを叱る指導」が当たり前だった世代ですし、接遇とか「患者様」という風潮に馴染めない人も多かったのでしょう。
あるいは若いスタッフでも、人に対して少し厳しい物の言い方をする人もいます。


「それじゃダメでしょ」「お母さんになったのでしょ?」
そのひと言が、自分の全てを否定されたように感じる人が増えたようです。
「こう言われました」と泣きながら訴え、さらに退院時のアンケートにも改善提案として書かれる方が増えた印象です。


そして「接遇」の訓練の効果もでてきたのか、医療スタッフの言葉遣いが丁寧になり、相手を「叱る」ような感じの人が少なくなったのがこのあたりかもしれません。



<自分が馬鹿にされているのではという疑心暗鬼?・・・いまここ>


最近では、「服や髪型を褒める」ことさえ「上から目線になる」らしいと聞いて、本当にびっくりです。


職場で20代、30代のスタッフの良い部分に気づくと褒めていたのですが、それが「上から目線(馬鹿にされた)」ととらえられる可能性があることに、なんだか凍てついた気持ちになりました。


とにかく「目上の立場」に立って欲しくない、という感じなのでしょうか。
それは「自分が大事」「自分が一番」といったあたりの、自己愛と競争心の歪んだものではないかと私には思えるのですが、どうなのでしょうか。


いったん社会に広がった言葉をなかったことにすることはできないので、もとの意味もわからないまま変化して広がっていくのでしょうか。


菊池先生の、「『上から目線』なる言葉が非常に便利な『思考停止のためのおまじない』として使われているのではないか」「勝つためのおまじない」が、10年経って本当にそうだと感じるこのごろです。




「気持ちの問題」まとめはこちら
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