客観的のあれこれ 2 <9割がイメージでできているのではないか>

「9割がイメージでできているのではないか」
これは、ただふと思いついただけで、9割というのもいい加減な数字です。


日常生活で常に目にする広告媒体を見て思いつきました。
あるいは、ニュースでさえ現実感を感じさせない写真が使われたりします。


アニメや映画、小説など、「現実にはあり得ないのに、現実味を感じてしまう」あたりも、そんな感じでしょうか。
ゆるキャラとか着ぐるみが、なんだか現実に存在しそうな錯覚を覚えるほど身近に感じるのも、イメージの世界と日常の境界線があいまいになっているからかもしれませんね。
ええ、私もちょっと好きですけれど。


ノンフィクションやルポタージュのほうが、むしろ現実的でない内容になっていると感じることが増えて、それなのに、社会を動かしてしまう怖さからも感じます。


客観性とはなにか考えてみようと思いついたのですが、その「客観」と「主観」の辞書の説明を読んでいると、ますますわからなくなりそうです。
「客観的」にとらえる側も、人間という主体(主観)である限り、「真に客観的とは何か」ということには答えがなさそうにも思えて来ました。


私が今見ている世界はいったい何か。
他の人の目にも同じ世界に映っているのか。


きっと、人はずっとずっと悩んで来たのかもしれませんね。
たとえば、こちらの記事で紹介した「事実という言葉は悲しいかな"非事実"ということを保ちもつ」や、鶴見良行氏が「感情移入という自分中心主義の手法」と表現した内容は、もしかするとこの「客観」「主観」につながっていくのかもしれないと、読み直してみました。


自分で「正しいことを考えた」と思ったことでも、案外、イメージの上に乗った危ういものでしかない。
そのあたりに意識的になることが、客観的にとらえるための一歩かもしれない。


「自分がとらえていることの9割はイメージでできている」
私自身の警鐘にしようと思いついたのでした。
もしかしたら、99.9%ぐらいかもしれませんが。




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