発達する 17 <食品衛生への意識も似ている>

知識が常識になる段階のギャップを感じるものとして、食品衛生に対する意識も似ていると感じます。


毎年、同じような食中毒が繰り返し報道されます。
事故はゼロにはできないと思うので、事故が繰り返されるのは仕方がないのですが、以前、「その方法で死者を出したのに」と記憶に残るような原因での食中毒が繰り返されています。


たとえば、カレーやシチューなどの作り置きもそのひとつ。
常温の鍋の中で菌が急増殖することを一度聞いたら、怖くてとても常温放置なんてできません。
昔は、そんなことを知らなくて、前日夜のカレーを常温で放置して、また翌日もずっと食べ続けていたなんてこともありました。
「火を通せば大丈夫」と言って。
よくぞ死ななかった、運が良かったのだとほっとしています。


そのような震撼とさせるようなニュースも、人によってはアンテナに引っかからないことや、「今までこれで大丈夫だったから」という思いこみを見直すことができにくい経験量などが、繰り返す要因なのでしょうか。


あるいは「のど元過ぎれば熱さ忘れる」といった感じで、少し前までは危険と認識されていたことも忘れられやすいあたりもあることでしょう。



<私自身の変化のきっかけ>


「自分の中の変なこだわり」に書いたのですが、30代頃から病院の職員食堂などで食事をするのが苦手になりました。
まずいとか味の問題ではなく、雰囲気だったのだろうと思い返しています。


私が最初に通った小学校は山間部にある小さな学校で、手作りの給食が自慢の学校でした。
給食を作ってくれる人の顔まで知っているような、そんな感じです。
小学校高学年になって市内の学校へ転校したのですが、そこは給食センターで大量に作り、各学校へ配送されるシステムでした。
そのあたりから、私は「給食」が苦手になりました。


味ではなく、やはり雰囲気でした。
白衣を着て、帽子を被った人たちが作っている。
そのことが、私の食欲を失くさせるのでした。


今は、真逆です。
きちんと帽子を被り、マスクをしているほうがより清潔に調理している可能性が高いと思っています。


特に、使い捨ての手袋を使っているかどうか、そのあたりは特に重要です。
この意識が強くなったのは、矛盾しているようなのですが、その職員食堂などが苦手になったのと同じ30代なのです。
院内感染標準予防対策が浸透したことによって、私の中で葛藤を繰り返しながら、やはり感染予防への気持ちの方が勝っていったのでした。



雰囲気や思いこみではなく、きちんとした知識に基づいた対応策へと軍配があがったのですね。



<使い捨て手袋をしようしているかどうかがポイント>


直接、口にいれる物を素手で盛りつけているのを見てしまうと、私はもうダメです。
「使い捨て手袋」を導入するかどうかの判断の違いが、食品衛生への意識の違いになるのではないかというのが、私の中の判断基準です。
もちろん、適切に使い捨てにしているかどうかも大事ですが。


以前NHKで放送していた「妄想ニホン料理」の番組の中で、キッチンがすっきりと片付けられていたベトナムの話を書きましたが、そのシェフも盛りつけにはきちんと使い捨て手袋をしていました。


日本や世界の料理番組を見ると、「こんな辺境の地で」と思う場所でも、直接人が口に入れる食品に触れる時に使い捨て手袋を使用している場面が増えています。
社会の意識は確実に変化しているのではないかと思ってみています。




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