イメージのあれこれ 3 <実像と虚像が反転する>

「イメージ」という言葉は、いつごろからどのように日本の中で広がったのか、あまり記憶がないのですが、Wikipediaイメージの説明を読むと、その言葉が指すものは時代とともに変化して統一できるような定義はないのかもしれません。

イメージまたは心的イメージ、心象、形象、印象(心的イメージ、英語:Mental image)とは、心象・印象・着想・想像・一般的印象・意味合い・感覚・感じ、等の言葉に置き換えられる。心に思い浮かべる像や情景。ある物事についていだく全体的な感じ。また、心の中に思い描くことを言う。

特に以下の説明は、「イメージとは実像と虚像が反転する可能性がある」と言い換えることもできるのではないかと思いながら読みました。

また、何かの物体、出来事、または情景などを知覚する経験に極めて似通った経験であるが、対象となるはずの当の物体、出来事、また情景が感覚において現前しないような経験を言う。

<「開業助産師」へのイメージ>


助産師向けの代表的な雑誌は2誌あるのですが、最近は「助産雑誌」だけでなく「ペリネイタルケア」も「開業助産師の技」的な話題がぼちぼちあるようです。


先日、書店で最新の9月号のタイトル「教科書には載っていない分娩進行のアセスメント 開業助産師の"ここでわかる"をエビデンスで解説」を目にしたので、ぱらぱらと目を通しました。


相変わらず、「開業助産師」というイメージが強固にあるのだなというのが、助産系の雑誌の印象(イメージ)。


ひと言で言えば、「それは開業助産師だからではなく、10年とか20年とか分娩介助を続けていたらだいたい獲得できるもの」でしかないのですけれどね。
そこまで経験していない人から見れば、「開業助産師はすごい力量を持った人」というイメージがどんどんと大きくなるのかもしれません。
その思いこみが、周産期看護領域の停滞を招いているともいえるのですが。


その助産師のさらに深層心理的なものは、「看護職とは一線を引きたい」というあたりでしょうか。


昔の産婆のイメージに囚われすぎている人たちのほうが上層部に多いのか、急激に変化している周産期医療の中でもがいている現場の助産師や看護師の実態は見えなくなっているのだろうなと思います。


まあ、電車の中でもどこでも、現実なのか想像の世界なのかわからないような写真や広告に囲まれていると、現代というのはイメージという魔術にかかって実像と虚像が反転した世界のように見えてしまうのです。



「イメージのあれこれ」まとめはこちら