境界線のあれこれ 78 <「動く植物」と「動かない動物」>

「動物」といってもあまり動かない動物もいるのだなと印象に残ったのが、いつごろだったか忘れましたが、日本にナマケモノが紹介され始めた頃でした。


排泄以外は木の上でじっとしている、しかもその排泄も週に1回という動かなさに、人間が「何のために生きているのか」と真剣に考えていることが逆に滑稽に感じたのでした。


Wikipediaの説明を読むと、枝の上に丸くなって寝ている姿が樹木の一部のように見えたり、被毛には藻も生えて、まるで植物の一部になったかのようになるのですね。
ホント、世の中には面白い生物がいっぱいいるものです。


ミツユビナマケモノは泳ぎは上手だそうで、「生息地のアマゾン近辺では雨季と乾季があり雨季には生息地が洪水にさらされることもしばしばあるため、泳ぐ技術を身につけていない個体は生存できないからである」とのこと。


ふだんは木の上でぼーっとしているのに、洪水がくれば上手に泳げるなんて、うらやましいことです。
私が日々、練習をしているのはなんなのか。
「やるときはやるんだからね」とぱっと動ける動かない動物を見ると、ちょっと何かができると偉そうにしがちな人間は滑稽だなあ。



<植物と動物の違いはなにか>


最近、動物園水族園そして植物園に足繁く通うようになって、ふつふつと小学生のような疑問が出てきました。


ほとんど動かない動物もいれば、動く植物もいます。
虫が触れると一瞬でとらえるような食虫植物は、触れると反応し、筋肉のような組織もないのに動きます。


一見、動きがない植物でも、成長を定点観測すると、一晩で数センチも伸びていたり、花から果実へと変化していて、そこには「動き」があります。


「植物と動物の違いは何だろう」と。
植物と動物には歴然とした違いがあり、明確に定義された何かがあるはずと、もしかしたらずっと思い込んでいただけなのだろうかと気になったのでした。


で、まずはWikipedia植物を読むと、「植物の定義が定まらないため、なるべく植物という名を避け別の呼び名を使う傾向がある」と書かれていました。
動物では、こう書かれていました。

生物を動物と植物に二分する分類法は古くから存在しており、アリストテレスは感覚と運動能力の有無によりこれら二つの分類を試みている。ただし、中間的生物も存在することを認めていたようである。18世紀の生物学者リンネ(Carolus Linnaeus)は、感覚をもたない植物界と、感覚と移動能力を持ち従属栄養的である動物界とに、生物を二分した。


私の素朴な疑問も、あながちピントはずれではなかったようです。
明確な定義はしにくいし、二分できるという単純なことではないということなのですね。


そしてふらりと書店に行って見つけたのが、「植物はなぜ動かないのか 弱くて強い植物のはなし」(稲垣栄洋氏著、2016年、ちくまプリマー新書)でした。


人為的な分類について、こう書かれていました。

 生物の世界を、どのように区分すべきか。驚くことに科学技術が進んだ現代においても、その分類方法が確定しているわけではない。


 しかし、それもやむを得ない話である。東北と九州が明らかに違っても、日本列島には何の境界線も引かれていないように、イルカとタンポポが明らかに違っても、生物の世界にも明確な境界があるわけではない。


 自然界は何の境界もないボーダレスの世界である。しかし、知識で情報を整理する人間は、境界を作って区別しないと理解できないので、線を引いているのである。系統分類といっても、所詮は、人間が自分たちのために作った分類にすぎない。
(p.25)


たしかにそうですよね。


自分の中にある植物と動物に対する固定観念をいったん捨てて、何をどのように分類されてきているのか、この本で頭の整理をしようと思いました。
高校生向けの本なので平易な書き方ですが、実はとても難しい内容で、骨の折れる読書になるのかもしれません。




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