地図が好きでしょっちゅうながめている割には、頭の中に正確な地図が残っていないことにしばしば愕然としています。
日頃、使っている電車の路線図なら書けそうですが、そこに通っている道路になると、途中まで描けたとしても突然白紙になります。
実際に歩いたことのある道なら、多少正確に記憶されているのですが、その周辺に何があるのかということになると、立体的な地図を完成させることはとてもできません。
地図をながめながら、いつもこの焦燥感のような挫折感のような感覚があります。
同じような感覚を日常で感じるのですが、それは何だろうと思っていたのですが、そうだ知識もそんな感じなのだと思いつきました。
<1本の用水路から知識が広がる>
見沼代親水公園駅の「駅名の由来」にはこんなことが書かれています。
かつてこの付近一帯の農業用水として使われていた「見沼」という大きな溜井(農業用ダム)が、現在の埼玉県川口市とさいたま市に跨がるようにしてあった。見沼は長年にわたる土砂の堆積で失われつつあり、洪水の元ともなっていたため、これを干拓して新田とした。その際、失われる水郷の「代わり」として利根川から新たに用水路を引き、それを「見沼代用水」と読んだ。この用水路の一部を公園として整備したものが「見沼代親水公園」である。
この知識を得ただけでも、日頃、地図上で見ていた駅名がなんだか立体的に見えてきました。
その説明の中の見沼代用水、そして見沼を読むと、私にとって干拓や灌漑というのは「八郎潟」などの昭和のイメージにすぎなかったことが、とても浅く間違った知識(記憶)でしかなかったことにちょっと愕然としています。
私が今生活しているのは、江戸時代いえもっと前からの、広大な地域の水との闘いの歴史がつくり出した場所であることが、急に目に入るようになったという感じです。
「水との闘い」に書いたように、1990年代から私は都内の大きな河川について関心が出始めたのですが、それさえも浅い知識でした。
先日歩いた1本の用水路、そこをたどっていくと、埼玉の広大な溜井の歴史につながっていました。
まるで末梢の小さな血管から、大きな血管が見えてその機能が見えてくる、そんな感じです。
何も知らなくても生活することもできますが、知れば知るほど、知ることの限界に打ちのめされるのです。
20代、30代の私なら、少し何かを知るとまるでパズルを解き明かすかのように、社会の問題や仕組みが見えたような気持ちになっていました。
今は、知れば知るほど、完璧な地図は描けないと同じような限界を感じています。
でも、だからこそ知識が増えていくことが面白いし、より正確な知識に近づきたい。
そして実際に歩くことで、知識の地図が広がっていくことも楽しいものです。