正しさより正確性を 8 <年表という地図を作り上げる>

中学生ごろまでだったでしょうか、教室の壁に年表が貼られていたのは。
教室には日本史や世界史だったり、美術室には美術史の、音楽室には音楽史の年表があったような記憶があります。


高校生になると、教科書の最初のページにもっと詳細に書かれた年表が付録のようにつけられていました。
年表の内容が細かくなるにつれて知識が増え、なんだか世の中のことをよくわかった気になりました。


特に、今自分が生きている現代史はまだ年表には記載されていないのですが、教わらなくてもなんだかわかったような気になっていました。
高校生にしてみれば、十数年前のことというのは乳児や幼児の時代ですし、30年前40年前であれば、まだこの世に姿形もないのに。


東南アジアで言われた「あなたのお父さんやおじいさんはあの太平洋戦争の時代に何をしていたのか」というひと言で、当時20代だった私は、未だ歴史としてまとめられていないここ10年とか20年とかの時代の変化を、時々自分の中でまとめて年表にしていくことが大事なのではないかと、漠然と感じたのでした。


ただ、そのあたりから40代に入るころまでは、私自身が「より正しいこと、より善いこと」を求める傾向があって、今思えば実現不可能なほどの理想を求めていたのだと思います。
そのあたりは、こちらに書いたのですが。


最近は、むしろ小さな事象の行間を読むことから、自分の中の年表の正確性を高めて行くことに関心があり、おもしろさを感じています。


昨日のチョコレートの歴史でも、Wikipediaに書かれていたこの部分から、また私の年表がもう少し正確になりそうな予感があります。

戦後の日本では、安価なものから高価なものまでさまざまなチョコレート菓子が販売されるようになった。特に1960年にカカオ豆の輸入が自由化され、続いて1971年にはチョコレート製品の輸入が自由化されたことで、様々な種類のチョコレートが流通するようになった。

1960年はコーヒーの輸入が自由化された年ですし、バナナ輸入自由化も1963年でした。
この背景には1947年の「関税及び貿易に関する一般協定(GATT)」があることは、なんとなく知識としては知っているのですが、ちょうど私が生まれた頃から日本の生活は大きく変わり出したことを、最近になってようやくつながって見えてきました。


生産する国もまた大きな影響を受け、とりわけ途上国では貧富の差、劣悪な労働、環境破壊などが問題になり、「なぜ世界の半分が飢えるのか」といった批判が70年代以降活発になっていきました。


60年代から70年代、残念ながら私は乳児から高校生の時代だったので、その時代の雰囲気が少し記憶にあるだけです。
あの時代に何がどのように動いていたのか。
上記のチョコレートの歴史に書かれているような一文から、行間を読み解く作業を続けるしかありません。


そして、1989年に出されたWHO/UNICEFの「母乳育児成功のための10か条」もまた、この60年代70年代に端を発していることが私の中でつながるまで20年ほどかかり、ようやく最近になって「人類の授乳の歴史」の年表のようなものが、見えてきました。


もちろん、「いかなる地図も主観的である」「完璧な地図はない」ように、年表もまた主観的であり完璧な年表というのは存在しないのだと思います。


最近の私は「自分の考えは正しいか。善いことを考えているか」はあまり関心がなくて、「それにはどういう歴史があったのか」より正確に知りたいと思うようになりました。
もしかしたら、それが50代あたりからの発達課題なのかもしれませんね。




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