気持ちの問題 48 <死んだらどうなるのか>

父の告別式の時間に合わせて、献体のために大学から黒塗りの車が父を迎えに来てくださいました。
片道、2時間ほどかけて。


少し遠方のその大学の医学部に献体をすることを決めたのが、1980年代半ばのようです。
当時はまだまだ、「死後の献体なんてもってのほか」という社会の雰囲気が強かったのでしょう。
その大学が献体の呼びかけをしているのを、たまたま知ったのではないかと思います。
その当時の父の気持ちは、今となってはよくわからないのですが。


それよりも数年ほど前、看護学生だった私は解剖見学をしました。
解剖されることへの拒否感は不思議となく、むしろこうして解剖をさせてくださる方のおかげて医療が進歩してきたことが印象に残り、その頃から私自身が死んだら献体をしようと決めていました。


そのことを両親に話したかどうかはもう記憶がないのですが、両親の方が先に献体を決めて登録しました。
娘からは反対されなかったことに、安堵したのではないかと思います。


生前には見ることのなかった登録書を読みました。
1980年代の献体不足に対しての切実な状況と、献体に登録してくれたことへの感謝が書かれていました。


数年前に、私もそろそろ登録の準備をしようと思って検索したところ、最近は献体希望者が増えて登録を見合わせているとのことでした。
医療と解剖への理解も広がったこともあるとは思いますが、むしろ、死後、お墓やらお骨を残したくないという気持ちと似た、死後の自分への体への気持ちの変化の表れなのかもしれません。


さて、父が亡くなってから、お通夜から告別式までの日程やら何をするのかとか、たしか仏教では四十九日というのがあったり定期的に法要が必要だったようなというぐらいに、葬儀関係のことは疎い私でした。
告別式では「初七日」も合わせて行うという、実に合理的な方法で驚きました。
たしかに、現代の忙しい生活ではそうそう時間もとれませんから、これは本当に助かりました。
四十九日はどうするのか気になっていたところ、父は僧侶なので四十九日は不要だと聞いてそういうものかと驚きました。
検索してみると、「四十九日は来生の行き先が決まる日」などと書かれています。



父は僧侶になってから、あちこちの法要にも呼ばれたようです。
他の人のためには冥福を祈りつつ、自分は献体する決心というのは、もしかしたら位牌やら法要やら形式的なものは本当はあまり意味がないと思っていたのかもしれないと、その矛盾の謎を考えています。


「私とは何か さて死んだのは誰か」
この問いに父も行きついていたのではないかと思っていますが、もう父の気持ちはわかりません。



「気持ちの問題」まとめはこちら