水のあれこれ 68 <街のでき方>

中央線の車窓から見える風景は、荻窪を過ぎたあたりから吉祥寺や三鷹のあたりまで、見ていてすっきりするほど鉄道の両側にまっすぐな道路と区画整理された宅地が続く印象があります。


まずまっすぐな中央線ができて、それに合わせて左右に真っすぐな道路が延びたのだろうと、私の頭の中で地図を描いていました。
ただ、それにしては吉祥寺の駅周辺の、鉄道に対して斜めに通っている道路や住宅街はどうしてだろうと、なんとなく気になっていました。


都内には真っすぐ通っている道がたまにあって、こちらの記事で書いたように「荒玉水道」はその名称からも水道に関連した道であることは想像できましたが、井の頭通りが「東京水道」であったことは知りませんでした。
もしかしたら、武蔵境にある境浄水場から東京水道がまっすぐ引かれ、その周辺の水道が整備されたのに合わせて、宅地が開発されたのかもしれないと想像しています。


水道が街の形を決めて行くのでしょうか?


そんな疑問にもう少しヒントになったのが、善福寺公園の中で紹介した杉並浄水所の説明にあったこの箇所でした。

杉並浄水所は関東大震災後の急激な宅地化によるスプロール現象の怖れが出て来た旧井荻町が水需要の増大に対応する為に築造したものである。


スプロール現象という言葉を初めて知ったのですが、「問題点」にはこんなことが書かれています。

都市が発展拡大する場合、郊外に向かって市街地が拡大するが、この際に無秩序な開発を行うことをスプロール化と呼ぶ。計画的な街路が形成されず、虫食い状態に宅地化が進む様子を指す。


通常、都市郊外の小規模な農地などが個別に民間開発される場合、周囲の道路との接続はあまりされないまま、もっぱらその土地の形状に合わせて、住宅地などが整備される。


このため、開発区域内は整理されていても、開発区域同士の間に計画性がなくなることになる。


一度スプロール化した地域では、地域の細分化、地価の下降などにより、改善は非常に困難になる。

蛇口をひねればいつでも水が出る現代の生活だと、地下にどのように水道管が敷設されているかなんてほとんど気にもとめなくなってしまいますが、街の広がり方には水道が大きな影響を与えるのだろうと、この文章からわかります。


実際に、善福寺公園から井荻方面へ少し歩くと、路地ごとに高低差がかなりあります。
杉並区や世田谷区のように、現在は「都市の住宅街」のイメージが強い区でも、20年から30年くらい前にはまだあちこちに農地が残っていました。
大正時代となれば、そのあたりは農地が広がる丘陵地帯といった風情だったのかもしれません。


そこに水道を敷き、宅地を整備する。


しかも清浄で豊富な水を廉価で供給し、災害にも強い設備を維持するわけですから、これもまた実はすごい楽園に住んでいるのですね。


街の風景の変化を、水道管の広がりから想像するのも面白そうです。




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