イメージのあれこれ 9 <うーの終の住処>

少し前にアメリカで銃乱射事件が起きた時のニュースで、犯人は年金者住宅に住んでいるという情報がありました。
ああ、そう、今私が欲しいなと思っているのは年金者住宅という発想で、そこに住み続けると言う意味ではなく、ひとつの集合住宅の中で自立した高齢期から臨終まで臨機応変に移動しながら余生をすごせるような住居です。


終身介護付きの老人ホームなら日本にもありますが、入居金だけでも高いので年金だけで足りず、貯金を取り崩しながら入居するにはいつまで生きるかわからないという大きな不安があります。
また中途半端に元気で見守りがあまり必要のない状況だと窮屈にかんじるかもしれないし、など両親に試行錯誤して来たことからあれこれと考えています。


アメリカの年金者住宅の写真は日本なら豪邸といえるような家で、公的な住宅とはとても思えずどういうことだろうと検索してみましたが、その制度については結局よくわかりませんでした。



日本では最近、自宅と施設の境界線があいまいになった「在宅」という言葉がよく聞かれます。
グループホームや老人ホームも「在宅」で、病院が「施設」のニュアンスのようです。
この背景には、病院の在院日数がどんどんと短縮されたので、「看取りの場がない」からではないかと想像していますが。


今まで、雨風にも強い家を手に入れて計画的に堅実に生きて来たとしても、終の住処がどこになるかがまったく予定がたたない。
そのあたりが、老いを迎えることの難しさかもしれませんね。


<年金者住宅という発想>


両親を見ていて、さらに、老いることの難しさは実年齢と主観年齢のズレを認識できないことかもしれないと思うようになりました。
「まだまだ大丈夫」と思い込んでいるうちに、心身の能力も判断力も落ちて、身辺整理の時期を逸してしまうのだろうと。


高齢者には自宅の管理というのは荷が重すぎるのに、身の丈にあった住居へ映ることは、現実的になかなか難しいものです。


日本の場合、ここ数年でサービス付き高齢者住宅が広がりましたが、いつ何時病気やケガで介護度があがるかどうかわからないのが高齢者です。
ところがサービス付き高齢者住宅では「自立」が前提ですから、とっさの受診の付き添いや日常生活での見守りは契約外ですし、介護度が高くなった場合は介護施設へと移らなければなりません。


その年齢が70代とか80代ですから、契約やサービスの内容を理解することもできずに、周囲や家族との軋轢が高まってしまうのも現実。


もう少し早い段階で、年金者住宅のような集合住宅へと移り、少しずつ老いることへの準備をし、寝たきりになっても同じ敷地内での介護や看護を受けられる。
そんなシステムにならないかなと思っています。


年金はお小遣い程度で良いので、堅牢な終の住処を確保してくれたら安心なのですけれど。




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