散歩をする 44 <代々木公園>

代々木公園と聞いて思い浮かべるものは、何でしょうか?
最近なら、海外渡航歴のない人が代々木公園で蚊に刺されてデング熱を発症し、公園が封鎖になったことも記憶に新しいですね。あれは2014年8月だったようです。


地下鉄で代々木公園の下を通ったり名前は身近なのですが、案外行ったことがないものだと、そのニュースを見て感じていました。
20才の頃に、当時まだあった代々木体育館の屋内プールに泳ぎに行ったのですが、その近くに大きな公園があることさえ気づかないままでした。
30代になって何かの研修で代々木青少年センターを利用した時に、初めて、かつて東京オリンピックでこの周辺が整備されたことがつながり、私の中の地図がつながったのでした。
それでも、当時は「公園で遊ぶ」「公園を散歩する」「公園でぼーっとする」ほど、公園を利用するという発想が、私にはありませんでした。


デング熱が収束したらいつか代々木公園に行ってみようと思っていたのですが、ようやく今年になって代々木公園に行く機会がありました。
代々木上原にあるモスクを久しぶりに訪ね、そのあともう少し歩いてみようと代々木八幡方面から公園に入りました。予想以上に広かったので、その日は西側を少し歩いただけでした。
記録を見ると、1月の下旬でした。


11月に入って晴天に誘われて、1年ぶりに日比谷公園に行ってみました。そうだ、去年の11月24日は、雪と紅葉という珍しい天気だったと思い出しました。


その日比谷公園にある緑と水の市民カレッジで、ちょうど「東京グリーンアーカイブスコレクション 代々木公園開園50周年」という展示が開催されていたので入ってみました。
1964年の東京オリンピック後に広大な公園へと変化していく様子が定点観測されていて、先日の東京港周辺の変化と同様に、歴史を行きつ戻りつ見ることができました。


オリンピック開催後に整備されたということはわかっていたのですが、その展示を見て、オリンピック以前はどんな土地であったのかを初めて知って驚きました。
ワシントンハイツという米軍の宿舎用の土地だったそうです。
先日の「アド街ック天国」の「表参道」でも、このワシントンハイツについて少し説明がありました。
偶然にも1ヶ月のうちに2回もその名前を聞くことになったのは、「行きなさい」という啓示に違いないと、ふらりと出かけてみました。


今回は表参道側から入り、ほぼ全域を歩いてみました。
何かそのワシントンハイツに関する記念碑とか説明がないか期待したのですが、見つけられませんでした。
紅葉が深まる中で、たくさんの人が思い思いに公園で過ごしていましたし、公園内はどこもよく整備されているのが印象的でした。
そうそう、 3〜4mぐらいあろうかと思われる皇帝ダリアが咲いていました。



首都圏での米軍施設というと福生と厚木、横須賀ぐらいしか思いつかなかったのですが、ふらりと散歩をするようになって、根岸とか赤坂とかけっこうあることを知りました。
まあ、今はそれで気持ちがざわつくこともなく、ただその歴史はどんな感じだったのだろうという素朴な関心になりましたが。
そして、そこで暮らしていた米軍関係者の方々の記憶をたどった記録があれば、読んでみたいなと思いました。


Wikipedia代々木公園の「概要」には、「代々木公園の所在地は、大日本帝国陸軍の代々木練兵場であった。これが第二次世界大戦での日本の敗戦後にはワシントンハイツとなり、1964年(昭和39年)年の東京オリンピックで代々木選手村として一部が使用された後に再整備され、1967年(昭和42年)に代々木公園として開園したものである」と書かれています。


ワシントンハイツの前は、日本陸軍の用地だった。
ではその前は?


「代々木公園開園50周年」の展示の中に、答えがありました。
1908年頃には渋谷周辺には61カ所もの搾乳場があったそうで、それが1909年に代々木練兵場となり、「この頃より渋谷の農業、水車業が衰退」したそうです。


渋谷に搾乳場とか、水車とか、想像がつかない風景だったのですね。
ああ、本当に散歩をすると楽しいなあ。




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