散歩をする 45 <明治神宮御苑>

今年の10月は本当に雨が多く、休日のたびに雨でした。
そんな下旬、ふと思い立って明治神宮へ行ってみました。
表参道の街路樹を見に行った時に、明治神宮の中を歩いたことがないことを思い出したのでした。



毎年、初詣の風景を見ているし、山手線で神宮の森のそばを1年のうちに何度も通るので、何だか行ったような気がしていたのかもしれません。
それよりも大きな理由は、長年の父との思想の違いから、明治神宮だけでなく国内の寺社を訪ねることを避けていることもあったのだと思います。
認知症になった晩年の父から記憶をたどっていくうちに、そういう気持ちのわだかまりもすっかりなくなりました。


2015年に放送されたNHKスペシャル明治神宮 不思議の森〜100年の大実験〜」で、由緒ある明治神宮のうっそうとした森がわずか一世紀で作られたことを知り、いつか明治神宮も訪ねてみたいと思っていました。


いつもその日の気分で行き当たりばったりの散歩なので、10月下旬に明治神宮に行った時には夕方4時頃で、ただでさえ鬱蒼としている境内は小雨も降ってさらに暗く感じました。平日でも人はそれなりにいるのですが、少し参道からはずれたところには恐怖心さえでそうなくらいの広さと静寂さです。
今度、晴れた日にまた来ようと、早々と退出したのでした。


<「明治神宮御苑」>


その時に、明治神宮の森は境内の森だけでなく、神宮御苑という庭園があってそこに湧き水があることを知りました。
これは是非その水の流れをみたいと、晴れた日に出かけました。


表参道側から入ると、鳥居を抜けたあたりから参道がけっこう急な下り坂になっていることに驚きます。
しばらくいくと橋があって川を渡るのですが、これが清正井(きよまさのいど)から流れてくる水のようです。


神宮御苑の入り口で入園料を払うと、そこからもまた下り坂が続きます。
明治神宮というのは、都会にある平坦な神社というイメージがあったのですが、実際に歩くととても高低差がある場所に作られていることがわかりました。


12月初旬でちょうど紅葉も見頃だったことと週末だったので、御苑内もけっこう人がいましたが、「きれい!」「すてき!」と興奮したり大きな声で会話をしている人はいなくて、不思議な静寂が広がっていました。
帰宅してからWikipediaを読むと、清正井も数年前にパワースポットとして話題にされたらしく、それで行列ができていたのかと納得がいきましたが、そこでも粛々と順番を待っている雰囲気でした。


Wikipediaの「明治神宮」の外部リンクに「明治神宮の森」という資料がある(*)のですが、その中にこんな記述を見つけました。

伝統に沿い、「神苑にふさわしく世間の騒々しさがまったく感じられない荘厳な風致をつくる」ことにあり、それは、常に大木が鬱蒼とし、天然更新により、永久に繁茂する森を育て、森の自然の力によって神宮を荘厳なものにしてゆこうとするものであった。

一世紀の大実験は成功したのかもしれませんね。本当に、人間に無用なおしゃべりをさせないほど圧倒される森になったのですから。


<代々木公園との境界線はどうなっているのか>


渋谷に残る湧き水を見て大満足でしたが、もうひとつ気になっていたことがありました。


地図を見ると、代々木公園明治神宮は隣り合わせになっていて、うっすらとその境界線が描かれています。
今年の1月に代々木八幡側から代々木公園に入った時に、その境界線の途中でどこかから明治神宮へ入れるのではないかと探してみたのですが、柵がずっと続いているように見えました。
明治神宮へ入るには、一旦、公園の外に出て参宮橋駅付近まで歩かないと入れないようです。
まあ、明治天皇を祀った神社だから厳然とした境界があるのも当然かと、その時には思っていました。


その後、代々木公園に隣接している明治御苑の清正井の周辺が高台になっているという点や、代々木公園が元は日本軍や米軍の施設があったことから、何か特別な地形が関係しているのかなと、その境界線を見てみたいと思ったのでした。


神宮御苑のあとに代々木公園に行って見たのですが、残念ながら、境界線付近はバードサンクチュアリだったり、歩行者が立ち入れないサイクリングコースになっていて、目で見ることができませんでした。


ということで、あの地図上の境界線の意味と歴史への疑問がそのままになった散歩になりました。



(*)2023年11月8日追記

外部リンクから削除されていました。





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