列車を20秒早く出発させたら謝罪する日本社会と羆に襲われた事件、そして事故調査が終わる前に次々に「事実」として報道されてしまう社会の3つの記事は脈絡がないようで、ひとつの関心を持って書いたものです。
それはヒューマンエラーとでもいうのでしょうか。
リスクマネージメントというと、各分野によってもニュアンスが違うところもあるし、日頃、リスクマネージメントという言葉が身近ではない生活をしている人もまだまだ多い社会なのだろうなと、我彼の差を痛感する毎日です。
聖書の中で言えば、「罪なきものが石を投げよ」とか「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太は見えないのか」に近いような差です。
「人間はミスを冒すもの」ということは、なかなか浸透しにくいのかもしれません。
羆の事件で紹介した「クロコダイル研究者のブログ」では、羆の事件の他に「ワニが人を襲った事件」について経緯がまとめられています。
「人食いワニ」と呼ばれていても、人間側に責任があることが「三毛別羆事件」の最後に以下のように書かれていました。
最後に、「クマと人の不幸な事故の99パーセントは人間に責任があるのかもしれない」とう木村盛武さんの言葉(リンク先記事参照)を記しておきたい。これはワニによる人身事故にも当てはまる。人食いワニは決して恐怖のバケモノではない。クマはクマとして、ワニはワニとしての行動をしているだけのただの野生動物である。それを人食いのモンスターとしてしまうかどうかはヒトが彼らの住む領域で適切な行動をとれるかどうかにかかっている。今回の事故でいえば、被害者や巻き込まれた方々は与えられた厳しい境遇の中で懸命に生きていた開拓民であり、個々人に直接の落ち度はなかったかもしれない。ただ、今回案内してくれた地元の方の「当時、そもそも人が簡単に住めるような土地ではなかった」、「そんなところに人を入れた(入植させた)お上がおかしい」という言葉に事件の必然性が隠れているように思う。
野生動物に関してだけでなく、日常生活においてもインシデントという言葉を我が身のことと感じられるようになると、もう少し報道の仕方や再発防止策についての受け止め方が変化するのかもしれません。
歩行者の間を疾走する自転車とか、イヤホンをつけてスマホを操作しながらの運転や歩行とか、火の不始末で火災発生とか、ごくごく普通の生活でも失敗学の視点は必要なのですけれどね。
しばらく、ヒューマンエラーについて続きます。