境界線のあれこれ 80 <聴覚と聴力>

記憶の中では、小学校低学年の頃に「聴力検査」をしたことを覚えています。
片耳ずつ音が聞こえたらボタンを押す、あの検査です。
子どもでも、耳に集中していると耳の中というか頭の奥で耳鳴りに似たような音を感じることがありますから、「間違ってそれに反応したらどうしよう」と、その後も聴力検査はちょっと緊張する検査でした。


1998年になると、当時勤務していた総合病院では新生児に対する「聴覚検査」がテスト的に行われ始めました。
その経緯については、日本産婦人科学会が2012年に出した「新生児聴覚スクリーニングマニュアル」に書かれています。


当時はまだ「聴覚検査」という言葉に慣れなくて、「聴力検査」と言ってしまいやすかったのですが、小児科の先生からこれは聴力検査とは違うという説明がありました。
聴力検査は被検者が自ら意識して反応するのに対して、新生児の聴覚検査は眠った状態で行うものですから、たしかに「耳が聞こえているかどうか」の検査なのですが、なにか大きな違いがあるものです。


「聴覚」と「聴力」の違いはなんだろうと、その頃からずっと気になっているのですが、案外、明解な説明が見つからずにいます。


<「聞く」と「聴く」>


私が勤務してきた施設では、聴性脳幹反応(Auditory braunstem response,ABR)と呼ばれるタイプの検査を実施していました。
新生児が深く眠るタイミングで電極を付けて準備を始めるのですが、眠りが浅いと「ハッ(何するの?)」と気づかれて何度もやり直しすることもあります。


Wikipediaの説明には「被験者の意識や心理に左右されない他覚的聴力検査の代表的なもの」とあるので、ますます聴覚と聴力の差はなんだろうと気になっています。


Wikipedia聴覚の「概説」には以下のように書かれていますが、果たしてどうなのでしょうか。

外耳、中耳、内耳、聴神経(バズドラム)、聴覚皮質などの器官を使い、音の信号を神経活動的に変換し、音の強さ、音高、音色、音源の方向、言語などを認識する能力を指す。いわゆる五感の一つである。

ここまではわかるのですが、気になるのは以下の部分です。

なお、この感覚が生じることを「聞く(きく)」といい、聴覚を用いつつ(耳だけでなく)心も充分に用いることを「聴く」と言う。特に、積極的な姿勢でこの感覚を用いつつ深い認識をしようとすることは「傾聴する」という。


「この感覚が生じることを『聞く(きく)』」とするのであれば、新生児の聴覚検査のように音に対する脳波での反応は「聞力」になりそうですが、「聴」という字が使われます。


「聞く」と「聴く」の区別も、「聴覚」と「聴力」の違いとはまた違うのかもしれません。
言葉は本当にややこしいですね。





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