記憶についてのあれこれ 125 <正確に記憶する能力>

唐突にお酒の話が出てくるブログですが、お酒という言葉とともにいつも思い出すのがアセトアルデヒドです。


高校時代の化学の授業で知ったのではなくて、休み時間になんとなく集まる気のあったグループにいた男子同級生から聞いたのが初めてでした。


「二日酔いの原因は、アルコールが変化してアセトアルデヒドになるからだ」という話でした。
その時には、「ふ〜ん。そんなことを知っているなんてすごいな」ぐらいの気持ちだったのですが、お酒を見るたびにアセトアルデヒドを思い返していたことが「記憶ってなんだろう」という疑問につながったのかもしれません。
さすがに高校生のときはたしなむ程度の量でしたし、今にいたるまで二日酔いとは無縁だったのに、高校時代から毎日のようにこの言葉を思い出していたのも不思議です。


その気のあったグループはなんとなく教室の隅に集まってそれぞれが本を読んだり、時々ぼそっと誰かが話したことから話題が広がるぐらいで、「たむろっている」とか「つるむ」といった感じ。
わいわいと話をするわけでもなく、お互いに気を遣わず邪魔もしない、「居るだけでいいよ」という関係でした。


さて、そのアセトアルデヒドを知っていた同級生は普段もガリガリと勉強している風でもなく、教科書以外の知識をどんどんと吸収していて、それでいて学年ではトップの成績でした。
授業を聞き漏らすまいと必死でノートを写し、教科書やテキストを必死で覚えて勉強している私とは大違いでした。


私にはその方法しか頑張りようがありませんでしたし、それだけ努力して覚えた教科書の内容も試験後にはあっという間に忘れていくのでした。
高校時代は何を自分は学んでいるのかという葛藤に押しつぶされそうだったのに、その同級生はなんだか飄々と知識を身につけていました。


何が違うのだろうと、本人に聞いたことがあります。
たしか「一度教科書を見るだけで頭に入る」ようなことを言っていました。
ああ、私とは次元が違う能力があるのだと、神童の存在を認めたのでした。


それからしばらくは、賢いとか頭が良いというのは記憶力がよいと同義語だと思って、なかばあきらめのような気持ちになることもありましたが、正確に記憶する能力について少し受け止め方が変わってきました。
まあ、神童にはなれない記憶力しかない私ですから、あくまでも想像の域でしかないのですが。



そんな話がもう少し続きます。




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