発達する 20 <動体視力>

動体視力という言葉を知ったのは、遅まきながらこのブログを始めてからでした。コメント欄に産科の先生が「手術時に動体視力が落ちて来たことを感じる」ようなことを書かれたことがあって、そういう言葉があるのを知らなかったと印象に残りました。
そのコメントをどの記事にいただいたのか検索しても見つからないのですが。


動体視力について説明が書かれているものは案外と少なく、たとえば「weblio辞書」では「視線をはずさずに、目の前を動く物体の動きを追い続けられる視力」といった簡単なものでした。


老眼鏡とは呼ばせないとか、高齢者の運転をみていると動体視力が低下しているのではないかといった老い支度をあがいているようなブログになりつつありますが、この動体視力の低下もひしひしと感じることがあります。


たとえば雑誌や番組表など、以前ならぱっと見るだけで「求めている漢字とかキーワード」がすぐに目に入り、だいたいの内容を把握できていました。
高校生頃からでしょうか、いわゆる「斜め読み」で本の内容が理解できていたのですが、最近は目の動きが追いついていかない感じです。


速度の速い動きも苦手になりました。
フィギアスケートやスケート競技を観てみたいと思うのですが、水中や陸上競技に比べて速い回転などを観ていると目がまわりそうになって車酔いのようになってしまうのです。
ダイジェスト板を愉しむくらいなのですが、テレビの映像ではなく、会場で直接、目視できればこんな不快感はなくなるでしょうか。


ああ、動体視力も衰えて・・・とまた、身体能力の衰えを感じさせるものが増えるのかとちょっとがっかりしていたのですが、最近、別の場面で動体視力が鍛えられて来たことを感じるようになりました。


それが、スタート反応速度についてです。


十数年前に初めて競泳を観戦した頃はまだ、よほどスタートに失敗した選手ぐらいしかその反応速度を見分けることができませんでした。


最近は、スタート台での静止からスタートして浮き上がるところまで、まるでスローモーションビデオを観ているかのように目視で見えることがあります。
しかも一人の選手だけでなく、8レーンのうちの数人ぐらいのスタートを同時に把握しているのです。
そして、すぐに電光掲示板で確認すると、だいたい感覚と速度が合っているのです。


そう、あの急変に遭遇した時の10秒や20秒がスローモーションビデオのように見える感覚と似ています。



「老年期の発達課題」で紹介した文献の、「人間の行動には、学習によらないで自然の結果として成熟していくことがまれであると言われている。老年期においても、生活していく中で学ぶことができる」ということかもしれませんね。


まあ、本当に動体視力が鍛えられるものなかのかはわかりませんが、競泳会場に通い続けたことでいろいろと得ることが多かったことを感じています。




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