散歩をする 65 <玉川上水新水路>

今年は、3月下旬になってから花粉症の症状が一度悪化しました。
いつもなら内服でコントロールできているのに、花粉症に初めてなった20年ほど前のような感じです。
かかりつけの耳鼻科の先生に話をしたら、どうやら今年は例年にないヒノキの花粉が飛んでいるようです。


そいういうわけで、せっかく草花が息を吹き返して3月の都内は桃源郷のような風景になるというのに、テイッシュで鼻をかみながらの散歩はあまりに風情がなく、ちょっと出不精になった今年の春でした。


それでも、「行きたい」と思うところがたくさんあります。


「渋谷の記憶」という写真集に、「大正初期 笹塚付近の玉川上水新水路」という写真があります。
農地の間をまっすぐ突っ切る、幅が数メートル以上の用水路に水が滔々と流れているセピア色の写真です。
現在の笹塚からは想像もつかない、人家もほとんどない風景です。



以下のような説明が書かれていました。

明治時代になると、玉川上水の水質悪化などが問題になり、現在の新宿の高層ビルが立ち並ぶ場所に浄水場が建設されることになりました。そして浄水場玉川上水を引くために、現在の笹塚・幡ヶ谷・本町の地域に直線の水路(東京市新水道)が建設されました。
写真が撮影された正確な場所は不明ですが、大量の水が流れているのがわかります。新水路の跡は、現在道路(水道道路)として使用されています。


地図を見ると、甲州街道の北側に並行した道が走っていて、新宿中央公園まで続いています。
西側は井の頭通りへと続いている、このまっすぐな道が水道道路(都道431号線)のようです。


井の頭通りが「東京水道」であったことは、こちらの記事で紹介した「水系と3Dイラストでたどる 東京地形散歩」(竹内正浩氏、宝島社、2016年)で知ったのですが、玉川上水の水を引き入れるための新水道がどのあたりなのかはわからずにいました。


「淀橋浄水場と西新宿」で紹介した東建の「シリーズ 世紀を架ける『新宿副都心と淀橋浄水場』」に書かれていた以下の部分と、冒頭の写真がつながったのでした。

明治中期、相次ぐコレラの流行を機に、江戸時代から使われていた玉川上水神田川上水の水道検査が行われ、水道システムの見直しが見当された。またこれらの水道は水圧がないため消火活動にも不向きだったこともあり、あらたな水道建設が望まれていた。


ああ、この目でこの地形を確認したい。
そう思ったらいてもたってもいられなくなって、出かけたのでした。



代田橋から新宿中央公園まで歩く>


ずっと玉川上水に関心があったので、京王線代田橋駅のホームの下を横切るように玉川上水が流れていることを知っていました。
開渠になっていて桜が植えられています。
でも、知らなければただの小さな川と気にもとめられない存在かもしれません。
そこからは新宿御苑までは暗渠化されていて、ところどころ公園や緑道になっています。


ここに新水路として分岐点があったことが、あの「渋谷の記憶」の中の写真を見て初めて知識がつながったのでした。


代田橋駅から甲州街道と環七の交差点を歩くと、そこは少し窪地のように見えるのですが、そこから甲州街道は新宿方面へと下り坂になっています。
その窪地を横切るように、新水路は一旦環七沿いに北側へと作られたようです。
環七の「泉南交差点」からは新宿方面へと新水路があったところに都道が続いています。


そこから新宿方面へと歩くと、次第に道路が他の場所よりも少しずつ高くなっているのがわかります。
道路の横の家に行くためには数段の階段を降りる必要があったり、時には道沿いの家の屋根よりも道路の方が高い場所にあったりします。
新宿に向かって右側に甲州街道が走っていてそこが玉川上水だったわけですから、この新水路は玉川上水よりさらに高い部分を流れていたことになるのがわかりました。


福生あたりで玉川上水の流れを武蔵野台地へと乗せたように、あの甲州街道と環七の交差点あたりの地形を利用して、玉川上水よりさらに高い場所へと水路を導いたのかもしれないと思えたのですが、どうなのでしょうか。


道道路を歩いていてもうひとつ気になったのが、新宿方向に対して右側に幅10数mぐらいの場所が他の土地とはまるで境界線を引いているかのようにずっと続いています。
公園として使われている場所もあれば、笹塚付近ではずっと団地が建てられているのですが、1階には住居がなくコンクリートの柱で支えられた構造になっています。


その10数mぐらいの幅がずっと続いているのです。
もしかしたらそこが「新水路」の跡地なのかと思ったのですが、どうなのでしょうか。


いずれにしても地図を見ただけではわからないのですが、実際に歩いてみると、新水路が通っている場所はちょうど尾根の部分だろうという地形でした。
水を流すために高台へと地形を選んで水路を導く技術に、ただすごいと思いました。


渋谷区立図書館の「水道道路(都道431号角筈和泉町線)下に埋まっている玉川上水新水路について」を読むと、「(玉川新水路)廃止の際に新たな水路は甲州街道の下に敷設されたため、この道路の下には「玉川上水新水路」は埋設されていません」とありました。
図書館には、この新水路についての参考図書がいくつかあるようです。


玉川上水の歴史ひとつでも、本当に一生かけても学び尽くせないほど知りたいことがでてきますね。
もう一度、玉川上水全域を歩いてみたくなりました。




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