昨日までの新生児の話から一転して、高齢者の話です。
10年前は、認知症の父もまだ一日に何度も散歩(徘徊)に出かけてしまうくらいで日常生活はなんとか自立していたので、母と二人で生活をしていました。
それでも、実家に帰るたびに二人が少しずつ小さくなり、歩き方もゆっくりになっていくのをみて、近い将来の生活の変化への準備をあれこれと考えていました。
でも、二人の健康状態がどうなるかも予測がまったくたたないですし、実家で二人が生涯を全うする可能性は低いとはいえ、ではどこに生活の場を移すかというあたりは全く見通しがたたないのが人生というものですね。
自立した生活から、ケアのある生活の場へ移ることへの精神的な壁もあることでしょう。
いつ、どうやって、どこへ生活の場が変化するのか、全く先が見えない時期でした。
それだけでなく老老介護での心中とか、高齢者の家からの失火とか、高齢者がだまされたり空き巣に入られたりといったニュースが聞こえてくると気持ちは焦るのですが、自宅で二人が暮らしていられる間はそうするしかないし何か起きたらその時になんとかするしかないといった諦めでそれ以上は考えないようにすることもありました。
事態が一変したのは、母が急性期病院に入院し、入院直後から在宅か施設かの判断を迫られる事態になったことでした。
どの程度回復するのかもわからないので、介護度によっては特別養護老人ホームへの入所も視野に入れながら施設を検索したのですが、都内の私の自治体だけでなく、両親が住む地域も百人といった待機者は当たり前でした。
結局、母は驚く回復力を見せて、有料介護施設に生活の場を移しました。
この冬に体調を崩した母は、今度は寝たきりになってしまうかもしれないという状態でしたが、車いすを自分で使えるまでに回復しました。
それまで住んでいたサービス付き高齢者住宅から、今度はどこが母の住む場所になるのだろうと考えた時に、最初は特別養護老人ホームという選択は思い浮かびませんでした。
それは母の介護度もまだ入所条件の要介護3にはなっていなかっただけでなく、私のイメージが1970年代の寝たきりの方ばかり のあたりで止まっていたからです。
というのも、1990年代から2000年代に勤務した総合病院にも特別養護老人ホームが併設されていたのですが、当時もまだ1970年代と同じように大部屋に寝たきりの高齢者が看取りのために寝ているという状況でしたから。
そこに母を移すことにおおいにためらいがありました。
2000年代に、私の近所には個室がある新しい特別擁護老人ホームができました。
いよいよ特別養護老人ホームも、一人一人の生活を大事にする時代になったのかと、その変化が印象に残りました。
ただ、常に待機者が300人以上という話でしたが。
今回は、もう一度高い入居金をなんとか工面して有料老人ホームを探すしかないのかと思っていたのですが、施設が決まるまで入所していたショートステイの相談員さんから、特別養護老人ホームの申し込みを勧められました。
ユニット式個室と従来型の個室が中心の施設です。
待機期間がどれくらいかわからないのですが、ダメもとで申し込んだところ、案外と早く移ることができました。
「みんなの介護」というサイトの「特別養護老人ホーム(特養)とは」に、「特別養護老人ホームの定員数の推移」というグラフがあって、2000年に298,912人だった定員数が2014年には538,900人になっています。
それでも「多くの施設で数十人から100人を越える待機者がいるのが現状」と書かれています。
「みんなの介護」にユニット型個室の説明が書かれています。
ユニット型個室とは、10人ほどをひとつの単位(ユニット)とし、食堂や浴室などを共有スペースとして生活を営むスタイルの個室を言います。
従来の特別養護老人ホームは4人1部屋の相部屋が主流でしたが、最近では、プライバシーの確保や入居者一人ひとりの生活リズム、個性に沿ったケアを家庭的な雰囲気の中で行うことが入居者の安心に繋がるなどの観点から、個室タイプの居室を設ける特別養護老人ホームも増えてきています。
わずか10年ほどの特別養護老人ホームの変化を思い返してみても、ケアはニーズのあるところに発生し、順番はその逆ではない、ニーズは社会構築的なものであり、ケアの受け手もしくは与え手あるいはその双方が認知しない限り、成立しないが具現化されていく介護分野の発展は本当にすごいと思うことがたくさんあります。