記憶についてのあれこれ 127 <変化がないように見える>

五反田川について書いていたら、小田急小田原線の歴史を読む機会になりました。


私が小学校に入った頃、向ケ丘遊園駅にはその名の通り向ケ丘遊園があって、いつだったか花が咲き乱れる遊園地へ行った記憶があります。
今でこそ、あちこちに植物園公園が整備されて珍しくなくなりましたが、1960年代の子どもにとってはなんだか夢の国のようでした。
私にとってはこの向ケ丘遊園地が植物園の原型のようなイメージです。


向ケ丘遊園へ行く以外にも、小田急小田原線は子どもの頃から頻繁に利用した私鉄の一つですが、その歴史を読んでみて私の記憶に全く残っていないことがいくつかありました。
例えば、「1976年 新原町田駅町田駅に改称」「1987年 大根駅を東海大前駅に改称」あたりです。
え〜そんなことあったかしら、と思うほど記憶にありません。
町田駅はずーっと町田駅だったような気がしますし、大根駅という駅名も記憶にないのです。
ほんと、記憶って曖昧で不思議ですね。


<変化がないように見える>


最近、機会があるとあちこちの郷土資料館に立ち寄っては、ここ1世紀ほどの風景の変化がわかるような写真集を手にとってみています。
10年ひとむかしという感じで、街並みが変化していくのがよくわかります。


ところが、「セピア色の記憶」に書いたように、記憶の中ではその変化がごちゃごちゃになって、ずっと以前からその風景だったように感じてしまうことがあります。
その混乱が、最近、とみに増えてきた感じです。


私が現在、通勤などで利用しているいくつかの路線も、10代の頃からその車窓の風景を見てきました。
ランドマークになるような大きなビルが建ったり、風景はどんどんと変化しているはずなのですが、10代、20代、30代、40代そして現在と、ふと同じ風景を見ているような錯覚に陥るのです。


何だろうこの感覚はと、気になっています。




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