気持ちの問題  51 <高低差がないと落ち着かない>

地図が大好きで、しょっちゅう地図を眺めている割りには記憶することは苦手なので、いまでも都内23区を描けと言われてもちょっと自信がないままです。
特に、千葉や埼玉に隣接しているあたりの地理は、今だに何度見ても覚えられないことに愕然とすることがしばしばあります。


生まれたのは埼玉に近い武蔵野台地のとある地域でしたが、ほどなくして都外へ引っ越して、進学とともに都内に戻ってきてからは武蔵野台地の上で生活をしています。


20代前後の頃は今ほど電車であちこちに出かけるわけでもなくて、都内で暮らしていながら初めて浅草とか隅田川方面へ出かけたのも20歳の頃でした。
私が生活している地域と雰囲気がだいぶ違うことに、圧倒された記憶がかすかに残っています。
さらに当時は、荒川とか江戸川ははるか遠い場所にあるイメージでしたから、その周辺の区の地理的なつながりもよく知りませんでした。


初めて荒川とか江戸川を渡ったのが、1980年代初頭、成田空港を利用する時でした。
成田から戻ってくるときに大きな川を渡りきると、あの多摩川を渡るとホッとするような感じでした。


ただ、1980年代後半になって江東区江戸川区へ行く機会が時々あったのですが、電車に乗っていても歩いていても、何か落ち着かない気持ちになることが不思議でした。
風景の何が違うのだろう、と。



散歩をするようになって、あちこちを歩くようになりました。
江東区江戸川区だけでなく、足立区や葛飾区など、今まで一度も行ったところがない場所を歩いているので、地図を見ればその時の風景や街の雰囲気が思い出されて懐かしくなる場所が増えました。
それでも、何かまだ落ち着かない気持ちになるのです。


最近、ふと思いました。
「高低差が少ない場所だからだ」と。


私の生活圏であれば地名に「山」「谷」「沢」「台」といった言葉が使われているくらいなので、電車に乗っていても、車窓から線路を切り開いたことがわかる土手が見えたり、周囲にも坂道があちこちにあるのが普通です。
ところが、干拓地だったり河口付近の海抜が低い地域では、電車に乗っても街を歩いていても高低差を感じる風景がないばかりが、遠くの空まで見渡せるぐらい平地が続いています。


川や運河や海が身近にある地域が羨ましく、余生はこういうところで過ごしたいと思いつつ、なかなか踏み切れないのは高低差が少ない風景が理由かもしれません。
私は山の民に近かったのだと。




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