正しさより正確性を 11 <日本の森林の風景>

緑が豊かな熱帯雨林を想像して1980年代に東南アジアに赴任した時に、見渡す限り裸山の状態が続いていることに驚いたことは自然と人工的な自然ー東南アジアの熱帯雨林に書きました。


ただ、同じような風景を見たことがありました。
それは、子どもの頃、1960年代から70年代にかけて関西の祖父母の家に向かう車窓から見えました。
正確にどの辺りかは記憶にないのですが、たしか兵庫県のあたりでした。
山にぽつんぽつんと松が生えている山々がしばらく、続いていました。
当時、私は四方を森林に囲まれた山間部で暮らしていましたから、木がない山というのは想像もしたことがなかったので印象に残りました。


<日本の山から木がなくなった時代があった>


先日の50年に一度の水害を母と話していた時に、戦争中に小学生だった母があの小田川のあたりへ木を切りに行ったことを話始めました。
初めて聞く話で、もっと詳しく知りたかったのですが、残念ながら学校で行ったということぐらいしか記憶に無いようです。


ニュースの映像やMacの地図の航空写真を見ても、現在は豊かに森林が山を覆っているように見えますが、もしかしたら終戦直後の1940年代半ばから、私の記憶にある1960年代、70年代ごろは、関西の山々は森林伐採によって木のない山が多かったのかもしれないということが気になっています。


80年代に私が東南アジアで暮らした頃には、むしろ日本の林業は山間部の過疎化や外国からの木材輸入で森林が放置され始めたことが問題になっていて、当時の私は「日本というのは他の国の環境破壊はするのに自分の土地の森は守るのか」と反感を感じていました。
子どもの頃に見たあの関西の裸山が、どういう意味を持っていたのかまでは考えることがないまま。


時代を行きつ戻りつ考えているうちに、私の「日本の豊かな森」のイメージは昔からあった森林だけではなく、1950年代ごろに伐り尽くされてそのあとに再生した山がけっこうあるのかもしれないと。
東南アジアの裸山も10年後には驚くほど木が生え始めていましたし、街路樹の成長の早さや、わずか一世紀で更地からまるで悠久の森の様相になった神宮の森を考えると、大昔からずっとあったように思っていただけで案外若い森林があるのかもしれませんね。


あちこちの自治体などから出されている街の風景の写真集を見る時に、今度はもう少し森林の変化に注目してみようと思いました。


裸山が続いていた時代であれば、ダムの意義も現代とは様相が違うことでしょう。




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