食べるということ 27 <干し魚>

無意識のうちに無花果の実の定点観測をしているのですが、案外と熟すまでには時間がかかるようで、実は大きくなったのですが青いままです。
待ち焦がれて待ち焦がれて、ようやく収穫の日になってちょうど良いタイミングで食べることができるというのは大変なことですね。
あ、その無花果は人様のものなので取って食べるわけではありませんが。


子どもの頃からそれほど無花果が好きではなかったのですが、干しイチジクを食べた時に初めて美味しいと思った記憶があります。
1980年代初め頃におしゃれなパン屋さんが増えて、近くに本格的なドイツのパンを売るお店ができました。そのお店で干しイチジクが混ぜ込まれたパンを買って食べたのが、確か最初だったと記憶しています。


干すだけでこんなに味が変わるのかと、印象に残りました。



<食品を干して別物になる>


先日の台風のおかげで少し気温が下がったけれど、湿度も高くなった感じですね。


今年の1ヶ月ほど続いたあのギラギラで乾燥した天気なら、食品を干して乾燥させるのには絶好の機会のように思ったのですが、案外、日本の昔からある食品で真夏に乾燥させるものは少ないのかもしれませんね。
思いつくのは梅干しぐらいです。
その梅干しも「乾燥させる」というためでもないですしね。
干し椎茸も収穫の時期が異なりそうですし、祖父の畑で見たかんぴょうも室内での乾燥のようです。


東南アジアで暮らした時に、干し方の違いを感じたのが干物でした。
日本の場合、煮干しや桜海老を除けば、一夜干し程度が干物というイメージです。
身はまだ水分を含んでいて、焼けばふっくらとする程度の乾燥のさせ方ですね。


漁港のすぐそばの市場に毎日のように買い物に行っていましたが、そこで見た干物はカチカチに乾燥させたものばかりでした。
文字通り「dried fish」と呼ばれているその製品は驚くほどたくさんの種類がありましたが、どれもそれで叩かれれば怪我をしそうなくらいに乾燥して固く、そして塩で固めたのかと思うほど塩分が強いことが共通していました。


辛口の塩鮭でも負けそうなほど、塩そのものを舐めているようなしょっぱさに、天日で乾燥させることで変化した独特の魚の旨味でした。
数センチ角の切り身だけで、おそらく一日の塩分量は軽く超えるほどの塩辛さですが、病みつきになりました。
ご飯にその干し魚があれば十分というくらいに。


「どうやって、これだけ乾燥させるの?」と知り合いの漁師さんに尋ねたところ、「魚を釣ったそばから塩水につけてすぐに甲板に並べれば、漁港に戻ってくるまでにはこうなる」と真面目な顔をして答えが戻ってきました。
おそらく冗談だったのだと思いますが、信じてしまうほど東南アジアの日差しは強く、乾季にはカラカラの天気が続くのでした。


あの干し魚を無性に食べたくなる今年の夏です。



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