記憶についてのあれこれ 130 <潮見>

私の家から辰巳葛西臨海公園へ行く交通手段は、りんかい線有楽町線そして京葉線があります。その日の気分で選択していたのですが、最近は京葉線を使っています。
アクアテイックセンターが着々と出来上がるのを、定点観測するためです。
現辰巳国際水泳場にはたくさんの思い出があるので、淋しさと新しい建物への期待と相反する気持ちで眺めています。


京葉線が運行を始めたのが1990年だったようですが、東京駅の奥深いところにホームがあります。
よくぞこんな深さまで掘ったという驚きと、ホームへいくだけでも時間がかかるので敬遠していました。
ここ数年、運河に惹きつけられているので、あの京葉線越中島駅からぐんぐんと地上へ出てそのまま運河と並行に走る風景が大好きになりました。
そして、辰巳のあたりでまるで空へ登っていくかのように運河を一望しながら新木場へ向かうあたり、ずっと窓に顔をくっつけるようにして見ています。


その越中島の次の駅が潮見駅です。
ここに一度だけ、90年代初頭に来たことがあります。
詳しいことは忘れたのですが、カトリック潮見教会で開かれたNGO(非政府組織)の集会に参加するためでした。
当時、いろいろなNGOが集会を開く場所の確保に奔走している中で時々耳にする教会でしたが、カトリックの中でも社会運動に協力的な教会のひとつぐらいの認識でした。


駅を降りると、はっきり覚えていないのですが団地か倉庫があるくらいで、ちょっと寂しい場所でした。
潮の香りがしたので、「潮見」の名前がぴったりだとちょっと印象に残ったくらいでした。


それから長いこと、京葉線に乗ることも潮見駅で降りることもありませんでした。


<8号埋立地の歴史>


前回の埋立地には寺社がないという閃きから、でも潮見に教会があるのは何故なのだろうとふと疑問に思ったのですが、Wikipedia潮見にその答えが詳しく書かれていました。


明治43年から始まった埋立事業だったようですが、「8号埋立地については、その後廃棄物処分場(現在の潮見1丁目界隈)として利用したため、昭和42年に竣工している」と書かれています。
そして「昭和43年2月30日(原文のまま)、江東区はどこの区にも属さず正式な住所の無い「番外地」であった8号埋立地を購入した。その際、潮の香ただよう地の町名として『潮見』として名付けられた」とあります。


1967年(昭和42年)頃から住民の居住が始まった、新しい埋立地の一つだったようです。


では、なぜそこに教会があったのかが書かれていました。

『蟻の街』移転と潮見教会設立


住民が入植する前の、1960年(昭和35年)6月4日、墨田公園一角にあった廃品回収を生業とする「蟻の街」が、東京都江東区深川8号地埋立地へ移転した。敷地面積は16000m2で、旧蟻の街の10倍であった。新蟻の街では、バタ車と呼ばれた手押し車や重労働であった梱包作業は姿を消し、トラックとベルトコンベヤによる全自動装置によるものに変わった。公衆浴場、児童公園、保育室などの福利厚生施設も建設されるなど、恵まれた社会環境が整備された。蟻の街教会はカトリック枝川教会となって小教区に認められ、現在はカトリック潮見教会と名称を変更している。埋立地「潮見」の成り立ちを物語る貴重な歴史の記録である。潮見教会の礼拝堂入り口や教会のホームページにも、詳述が掲載されている。

「蟻の街」についてのさらに詳しいWikipediaの説明はこちら


ちょうど私が生まれる頃に、蟻の街が移転したようです。


世界の貧困について関心を持ち正義感と理想に燃えていた私だったのに、集会場になった教会の歴史が目に入っていなかったのでした。




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