水のあれこれ 84 <「水の申し子」と隅の親石>

パンパシ会場でレースを観戦し、翌朝、テレビの録画を観るという忙しい毎日です。
その中でスーパー女子高生が「水の申し子」になっていて、ちょっと回想の世界に浸ったのでした。


「申し子」とは「神仏への祈祷や夢のお告げによってもうけた子、歴史上の英雄伝説や高僧伝の中にその例が見られる」(コトバンク、「世界大百科辞典 第2版」)という意味だそうです。耳にすることはあっても、私の生活では使うことのない言葉でした。


その池江璃花子選手の昨日の、100mバタフライは順位だけでなく最後まで世界記録ペースだったので、応援にも力が入りました。あとは、この泳ぎとタイムをどれだけ再現していくかなのだと思いますが、ヨーロッパ大会などへの参戦でも物怖じしないところが池江選手の強みで楽しみなところです。


ただ、日本新記録を次々と更新している池江選手自身が、その先にある目標達成の遠さを実感しているのではないかと想像しています。


自由形強化>


平泳ぎや背泳ぎ、バタフライ、そして400m個人メドレーでは世界大会でも常に決勝に出て表彰台に乗る選手が毎年いるのですが、自由形はなかなか世界との差が大きい種目のようです。
私が競泳を観戦し始めた2000年代初頭は、自由形で国際大会の決勝に残ることは本当に難しい時期でした。


ところが、昨日の4×100mリレーや一昨日の4×200リレーでは、男女ともにアメリカやオーストラリアに並ぶところまで来たのは、自由形強化の効果がじわじわと出て来たのだろうと思いますし、むしろ「伸び代のある種目」になって来て楽しみです。
こうした自由形の選手たちの突破口になっていったのが100m50秒の壁を破った短距離の選手たちであり、中長距離なら松田丈志氏だったことでしょう。
その時代があって、超えられる存在になり、引き継いていく選手たちがいたからこそ、萩野公介選手が自由形でメダルをとったのだと思います。


女子の自由形もなかなか個人で決勝に残ることは難しそうですが、リレーになると強くなりました。
特に4×200mリレーでは、200mを1分57秒や1分58秒台で確実に泳げる選手が増えたことが印象的です。
2000年代は、200m自由形で2分をなかなか切れない時代が続いていたと記憶しています。


その突破口になったのが、上田春佳選手でした。
試合で、常に安定して2分を切る選手が出現したのです。こういう選手が現れると、他の選手もその背中を追って伸びていくかのようでした。


上田選手は次々と自由形日本記録を塗り替えて世界に近づけていきましたが、世界大会で個人で決勝に進むことはなかなか叶わずに引退されました。


そういう日本の自由形の中での立ち位置のようなものを、池江璃花子選手は痛いほどわかっているのではないかと思います。
今のところ、世の中の期待感が彼女の背中を押していくれているのかもしれませんが、「銀ではダメ、金でないと」という雰囲気が強く、ましてや決勝進出だけではなかなかメデイアは話題にしてくれない世界です。


こうした壁を破って来た選手たちの歴史を知って、そういう活躍に注目できるようになれば、より心強い応援になるのではないかと思いながら、最終日もうきうきと辰巳へ向かいます。




<おまけ>


録画を見ていたら、池江選手が「自宅のお風呂で水中分娩で生まれた」ことが紹介されていました。
テレビ朝日さん、水中分娩を好意的に社会に紹介してはいけないのです。
雲梯といい、話題を作ってその選手のイメージを盛り上げようとするのは選手のためにはならないと思いますね。




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