「私しか気づいていないだろうな」と、ちょっと悦に入っていることがひとつあります。
葛西臨海水族園の大きな水槽で泳いでいる、グルクマの群れにいる一匹のマアジの存在です。
行くたびに元気にしているかなと気になっているのですが、グルクマのような顔をして群れに混じっている様子を見ると安堵しています。
そして周囲の観客の反応に耳をそばだてているのですが、今のところ「一匹だけ違う魚が混じっている」という声を聞いたことがないので、おそらくその水槽にいるサメとかエイに気を取られて気づいていないのだろうと思います。
ただ、私も最初はグルクマとアジの違いがそれほどわかっていなかったですし、アジの分類だけでももう何がなんだかで、目の前にそれらが一斉に並んでいたらとても区別がつかないことでしょう。
水族園では、分類が書かれた絵が掲示されているので見分けられるようになったのでした。
先日のアナゴから、私の魚の種類に関しての知識というのは本当にわずかだと思いながら、30年ほど前のことを思い出しています。
<世界中の魚介類についての正確な知識があったからこそ>
今では珍しくない握り寿司のテイクアウトですが、たぶん1970年代半ばごろから広がったのではないかと思います。
それまで生の魚介を使った握り寿司は、お寿司屋さんでしか食べられない高級なものでしたが、格安で食べられるようになりました。
それと同じ頃、回転寿司の店舗も広がって、握り寿司が急激に庶民の食べ物になっていったのが80年代でしょうか。
当時は、海に囲まれて魚が豊富な日本だからだと思っていました。
90年代初めに、その魚がどこから来ているのかに気づいた時、世界のあちこちに無償援助で建設された漁港との関連が見えて来たのでした。
当時、私が住んでいた東南アジアのある地域で採れるテイラピアに似た淡水魚が鯛の味に似ているということで、日本の回転寿司向けに輸出する話があったようです。
現地の人からその話を聞いた時には半信半疑だったのですが、村井吉敬さんの仲間と出会った時に、日本が世界中から魚介類を輸入してどのように流通しているかを調べている人たちがいらっしゃったのでした。
水産関係の本や資料が多い図書館に行った時、ちょっと記憶が曖昧なのですが、たしか水産庁の日本の近海で採れる魚介類と世界中の類似した種の一覧を見つけました。
例えば、銀ダラに似た魚は世界中にどんなものがあって、その魚であれば日本で代用できそうだといった内容でした。
当時の私は、東南アジアで出会った漁師さんたちの状況から、「お金で世界中から魚を買いあさって行く日本人」への感情に渦巻いていましたから、このリストを見たときもなんて貪欲なのだろうという感想しかありませんでした。
村井さんの仲間の中には、東南アジアの漁業と回転寿司のことを追っている人もいましたし、ヴィクトリア湖のナイルパーチが日本の食卓とどう繋がっているかを追っている人もいました。
でも「搾取だ、貧困の原因だ」と憤っている私とは、少し視点が違うように感じていました。
もしかしたら、そういう経済活動をする側への批判というよりも、食べられるかどうかを正確に調査・研究している人たちへの敬意もあったのかもしれません。
私には怒りという感情で、現実の社会が見えていなかったのだと思い返しています。
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