散歩をする 79 <楓川>

八重洲地下街のことを思い出していたら、久しぶりに八重洲のあたりを歩いてみようかなと地図を開きました。


八重洲だけでなく、有楽町あたりから日本橋ぐらいまで道路がまっすぐで、高低差もなく複雑な地形がない場所です。
そして「橋」がついた地名があるのは、江戸時代に埋め立てられて物流のための運河が張り巡らされていた名残だろうというあたりまでは想像がつきます。


パソコンの地図を拡大したり縮小しながら、その辺りを眺めていたら、まっすぐに公園がいくつもある場所があることに気づきました。
ちょうど、首都高速都心環状線に沿っています。
その高速道路に沿って地図の左側へと向かっていくと、「築地川銀座公園」と書かれていてピンと来ました。


以前、隅田川テラスから月島、そして勝鬨橋を渡って築地まで散歩した時に、歌舞伎座の手前で地下へ入る高速道路の陸橋の上が公園になっている不思議な風景を見ました。
あれが築地川銀座公園だったことと、記憶がつながりました。


おそらく、首都高速が以前の運河に沿って作られて、開渠になったままところどころにあった橋が陸橋となって橋の名前が残り、そこに公園が作られたのかもしれません。


俄然、興味が出て実際に歩いてみようと思いつきました。


新富町から歩く>


辰巳国際プールへ行くときに使う有楽町線ですが、新富町は通過するだけで降りたことがない駅でした。
今回はこの駅からスタートです。
地上はどんな風景だろうとちょっとわくわくしながら階段を昇ると、目の前に大きな陸橋がかかっていてそれが「三吉橋」です。
近くに由来が書かれていました。

 この橋は、築地川の屈曲した地点に楓川と結ぶ水路(楓川・築地川連絡運河)が開削され、川が三叉の形となった所に、関東大震災の復興計画の一環として、昭和4年12月に三叉の橋が架けられました。
 ここに川が存在し、人々の暮らしも川を中心に営まれ、川筋を酒荷の船などが通った情緒ある風景も、今は埋立てられ高速道路と化し、陸橋となりました。
 区では平成4・5年に渡り、高欄には水辺に映える木立ちの姿を採り入れ、照明は架設した当時の鈴蘭燈に、又一時期高速道路のランプとなり一部撤去された歩道も復元し、古き風情を感じさせるデザインで修復しました。
平成5年8月 東京都中央区


陸橋から覗き込むと、かつては滔々と流れていたであろう場所に車がたくさん走っています。


三吉橋を渡ってすぐ、日本橋方面へと歩くと、わずか数十mぐらいの距離なのに、首都高速の両側に楓川新宮橋公園、京橋公園、新金時橋児童公園があります。
そのあたりで首都高環状線に首都高KK線が合流するので、地下へ地上へと複雑に道路が入り組んでいて、思わず高速道路の出入り口に入り込みそうになり、「歩行者は進入禁止」にハッと後戻りをしたのでした。


ちょうどその合流地点の下にコンビニがあり、ひと休みしようと近づいたら二つの説明書きを見つけました。

三つ橋跡
 ここから北方役30メートルの地点には、明治の末年まで、北東から楓川、北西から京橋川、東へ流れる桜川、南西へ流れる三十間堀が交差していました。この交差点に近い楓川に弾正橋、京橋川に白魚橋、三十間堀に真福寺橋が架かり、この三椅を三つ橋と総称していました。
 三つ橋は、すでに寛永9年(1632)作成と言われる『武州豊嶋郡江戸庄図』に図示されていますが、橋名の記入はなく、橋名についても幕末までいろいろ変遷がありました。
 明治末に真福寺橋、昭和34年に白魚橋がいずれも河川の埋立てによって廃止され、弾正橋は昭和37年、高速道路工事によって現在の姿となりました。
 平成8年3月  中央区教育委員会

自動電話交換発祥之地
 我が国ににおける自動電話交換方式の発祥は大正15年1月20日、旧京橋電話局の交換業務開始による。自動電話交換開始50年に当り京橋電話局跡であるこの地に、記念碑を造り昭和50年1月20日除幕した。祈念碑は当時の自動電話交換機の回路図の一部を図案化したものであり、上記「自動電話交換発祥之地」は米澤滋博士の筆によるものである。


江戸から明治、大正そして昭和へと、驚異的に変化する時代があったことを、またひとつ見つけたような気がしました。


首都高速環状線に沿って歩くと、「弾正橋北西児童公園」「楓川弾正橋公園」「西八丁堀児童公園」「楓川宝橋公園」と両側に公園が続き、八重洲通りとの交差点には「楓川久安橋公園」がありました。


公園をたどってみようという単純な思いつきでしたが、江戸の街の運河が浮かび上がるような散歩になりました。



<おまけ>


散歩のあと、しばらくしてから「孤独のグルメ season7」の録画を観直していたら、最終回の「八丁堀」でなんだか見覚えのある中華料理店が出ていました。
ラストシーンでお店から出て行った五郎さんが向かっていったのは弾正橋で、私が先日、逆方向から歩いた場所でした。
私は弾正橋を渡ったあと、あの中華料理店の前の路地を歩いて久安橋方向へと向かいました。
番組の中で五郎さんが座っている席の後ろの窓に、建設工事をしている人たちが映り込んでいましたが、先日散歩した時には、完成間近の様子でした。
ああ、惜しい。なんであの時にピンとこなかったのだろう。




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