記録のあれこれ 22 <「当時の生活を垣間見る」ような記録を残す手段>

先日行った、埼玉県立歴史と民俗の博物館の展示で、洪水や渇水に悩まされた地域だけあって、江戸時代と明治時代の洪水、そして昭和のカスリーン台風を記録した資料が展示されていました。


江戸時代の洪水に関しては、その当時はまだ「台風」という言葉や概念があったのかはわかりませんが、ある村での被害の状況を村人の一人が記録した文書がありました。
どこからどこまでが浸水したとか、何が流されたかといった記録のようでした。
明治になると、当時の治水工事や避難方法などもう少しわかる記録のようでした。この辺りの展示物は撮影できない箇所だったので、記憶がちょっと曖昧ですが。
そして1947年のカスリーン台風になると、被害状況の全体がわかるような記録とともに、写真が残されていました。土手で避難生活をおくっている人たちの写真は、その一枚を見るだけでも当時の状況を想像するのに参考になります。


こうした歴史資料館や博物館を見学すると驚異的に変化する時代があったことが印象的なのですが、技術的な発展だけでなく、当時の生活を垣間見ることができるような記録の圧倒的な量と質の違いもその一つです。
縄文時代は展示してある「物」から、生活や当時の人の気持ちを推測するしかないですからね。


明治になると、市井の人の日常生活の記録になるような文章がたくさん残されるようになったのかもしれません。
たとえば防災と公園で引用した文に、田山花袋の「現に私が覚えてからも、まだあちこちにそのための火除地が残されていたのに・・・。それなのに、いつ、誰がそれを(中略)通れる路もないような市街地にしてしまったのか」という箇所がありますが、何気ないこうした一人の感じ方が記録されているだけでも、当時の社会の雰囲気を知る貴重な資料になります。


<「ブログは自己顕示欲」か>


そんなことを考えていたら、9月4日から5日にかけての台風21号による関西の被害の様子が飛び込んできました。
最近では、twitterでの動画やつぶやきの方が報道機関より早く「現場」を映し出すので、その情報量には圧倒されてしまうのですが。
「ニュース」は報道機関が出すものではなくなったような、時代の変化を感じます。


さて、「ブログは自己顕示欲」だったと思うのですが、池田晶子氏がブログをそう考えていたことを知ったのは私がブログを始めたあとだったので、少しショックを感じたのでした。


確かに、自分の生活の事細かなことや出来事、あるいは考えを人に知ってもらいたいというのは自己顕示欲とも言えるかもしれません。


ただ、今までは池田晶子氏も含めて作家とか執筆家といった人たちだけが自分の書いたものを広く社会に読んでもらえていた、ある意味では「特権」がなくなった時代が来たとも言えるのではないかと私は感じていました。
だからこそ、私のような一介の助産師でも自由に書いたものを読んでもらえる機会を持てるようになったのですから。
出版物やテレビで広がる内容に対抗する力を持ったとでもいうのでしょうか。


あるいは一見、自己顕示欲のようでも、「どこへ行った」「何を食べた」「楽しかった」そんな記録も、後世では喉から手が出るほど欲しい、「当時の生活を垣間見る記録」になるのかもしれないと思うようになりました。


ただ、どこまでがノンフィクションで、どこまでがフィクションなのか、そして事実とは何かについて慎重さが必要ですけれど。



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