数字のあれこれ 43 <8時間という労働時間の中身>

日が短くなる季節には労働時間を5時間ぐらいにしてくれるといいなと書いたのですが、本当は年間を通して、1日の労働時間が短くなればいいなと思っています。
「1日に8時間以内、週40時間以内」という労働時間が決まった頃の時代に比べると、労働内容の量・質ともにかなり差があるのではないかと思います。


私が看護職になった1980年代初頭に比べても、次々と新たな疾患やそれに対する治療方法が確立され、救命救急の技術や制度が整い、それに伴い医薬品や医療機器が比較にならないほど増えました。
治療や看護が複雑になった上に、医療安全対策接遇など、社会が求める理想の医療に近づくようにも求められています。
80年代は80年代で忙しい8時間だったけれど、当時に比べたら何倍もの複雑な業務をこなし、医療事故やトラブルへの対応などの精神的緊張など、労働の内容が変化しているのではないかと思います。


でもその「何倍もの複雑さ」をどうやったら表現できるのでしょうか?
もし、それを客観的に表現できれば、少なくとも現代の看護職の労働時間は5〜6時間ぐらいが集中できるのに適した勤務時間ではないかと漠然と思います。


今は、日勤でも休憩も取れずに9時間ぐらい、夜勤でも16時間ほとんど休憩とれずの日もありますが、なんとか気力と体力で乗り越えている感じです。
そういう時は「ここで集中力を切らしたら思わぬ事故につながる」「思わぬトラブルが発生する」という異常な緊張感で仕事をこなしていますから、労働時間数の倍ぐらい働いた疲労感があります。


比較的ゆったりした時間の日もありますが、決して暇ではなくて、ようやくそういう時間に、産科本来の妊産婦さんや褥婦さん、新生児に必要なケアに時間をかけることができます。
たとえば乳腺炎の対応には1時間ぐらいかかるのですが、むしろ乳腺炎予防のための授乳方法を丁寧にみるためには同じように時間がかかりますし、同時に何人もの産後のお母さんたちの状況を把握した上で、どの方にも適切に対応するためには相当集中力と技量が必要になります。
忙しさだけを労働の質や量の指標にしてしまうと、こういうことは見過ごされてしまうことでしょう。


看護職といってもさまざまな勤務内容があるのですが、一律に8時間を労働の一単位として考えるのはもう時代にあっていないのではないかなと感じることが多々あります。
もちろん、8時間がちょうど良い長さのところもあることでしょうが。


5〜6時間を1日分として、残業が多い職場は1日に2日分働いたと見なして休日を増やすとか、二交代か三交代かではなくて4交代というのもありではないかと思います。
通勤時間が長い人は1回出勤したら2日分働いてその分休みをとるとか、子育てや介護などの理由がある人は、1日の労働時間を短くして出勤数を増やすとか、融通が効くと良いのではと。




ところで、八時間労働制が決められたのはいつか改めてみたら、なんとちょうど一世紀前のことでした。

産業革命当時のイギリスでは工場労働者が人々の生活を激変させつつあった。平均的な労働時間は1日に10時間から16時間で休日は週に1日のみであった。


過酷な時代に比べれば、8時間労働というのは夢のような話だったのでしょう。
でも、あと20〜30年ぐらいたって、1980年代から90年代が歴史の一部として書かれる時代になれば、医療や社会が激変した頃には労働の量・質ともに増えたのに、相変わらず8時間労働が基準で、それさえ守られていなかった時代として驚かれるかもしれませんね。


まあ、ここ1世紀ぐらいの歴史を行きつ戻りつ考えていると、時代は少しずつ良くなっていると思えるようになってきたのであまり理想だけを主張しても仕方がないのですけれど。


適切な労働時間数を数字に表すにはどうしたら良いのでしょうね。




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