散歩をする   87 <油壺験潮場>

水準点と水準原点について検索していたら、油壺験潮場について知りました。
油壺といえば夏の観光地というイメージですぐに思い浮かぶのですが、「験潮場」となると打ち込んでも一発で漢字が転換されないほどですし、今まで耳にしたことがない言葉でした。


国土地理院のホームページの「管内の主な観測施設」に掲載されている「油壺験潮場」の写真を見ると、断崖とまではいかないのですが岩壁のそばに建っています。
地図と航空写真で確認しても海岸沿いにあることがわかるだけで、道がどうなっているかもわかりません。
でも、「平成30年度土木学会選奨土木遺産」になったくらいなので、たぶんそばまで行けるだろうと思って出かけて見ました。


品川から三崎口駅まで京急に乗り、そこから油壺マリンパーク行きのバスに乗れば近くまで行けるようです。
油壺マリンパークの一つ手前のバス停で降りて歩いて見ました。
道路が尾根伝いに作られていることがわかるほど、左手はすぐ下に油壺湾、右手も急な坂道を下ると小網代湾が見えます。
地図を眺めていても三浦半島というのは入り組んだ地形が多く、また海岸沿いに道が描かれていないので、きっとどこもこんな感じで少し険しい岩壁の上に集落があるのかなと想像しながら歩きました。


地図では油壺マリンパークの手前に東大油壺地殻変動観測所があるので、もし験潮場がその敷地内で関係者以外立ち入り禁止だったら残念だなあと思いつつ歩いていると、バス停から2〜3分ほどのところに「油壺験潮場」の表示がありました。


見ると、油壺湾へ向かって急な坂道があります。
周囲は森に囲まれて、全く人の気配もない場所です。
ちょっとためらいました。まずはへびに出会ったら嫌だなということと、今年はハチでアナフィラキシーショックを起こしたニュースをよく耳にしたので、ここで刺されたら誰も助けてくれないだろうなと。
そして、魑魅魍魎よりも怖い現実の犯罪に巻き込まれたらと、「相棒」や「科捜研の女」の事件現場を妄想したのでした。


あ〜でもここまではるばる来たのだから、引き返すのはもったいないと坂道を降り始めました。


波打ち際の建物は「油壺験潮場旧建屋」で、坂道の途中にフェンスで囲まれた中に平たいコンクリート製の小さなものがあって、それが現在の「基準水準点」で以下のような説明がありました。

基準水準点は全国に83点設置されています。この基準点は昭和5年(1920)に設置されました。標石上面が東京湾平均海水面からの高さ(標高)を表しています。水準点は全国の高さの測量の基準になるものです。繰り返し測量することにより地殻の上下変動を知ることができ、地震予知等の貴重な資料になります。


そこから波打ち際まで降りると、国土地理院のサイトの写真にある旧建屋がありました。
「験潮の始まり」を読むと、明治24年(1891)に6ヶ所の験潮場が設置されて、海水の高さを物差して目視で観察していたようです。
油壺の旧建屋は明治27年(1895)に建築され、25年後には新しい場所に基準点がおかれて、さらにちょうど一世紀後の平成7年(1995)に現在のものになったようです。


海をぼーっと眺めているのが大好きで、寄せては返す波を一日中眺めていても退屈しないほどですが、波の高さを計測して基準になる数値がそこにあるということに、今まで思いつかなかったのでした。
120年ほど、毎日、潮位が観測されていたのですね。

油壺験潮場の潮位観測は、原点の高さ(東京湾平均海面)にも大いに関わっており、明治33年から大正12年関東大震災前までの23年間の観測結果から油壺の平均海水面が算出され、その値と霊岸島から得た高さの差は3mmしかなく、水準原点の高さを保証しました。
その後、関東大震災地殻変動によって水準原点の高さは、24.4140m に改訂されましたが、その時も油壺験潮場の潮位観測から求められた高さが用いられています。


簡単な説明だけれど、読めば読むほどどうやって観測するのか、どんな計算をするのか専門的なことには手も足も出ない話です。


観光地の三浦半島に行ってこの験潮場だけ見て帰ってきたのですが、私には今まで見落としてきた大事なことを見ることができたような、大満足の散歩になりました。



<おまけ>


バス停の近くに、ブーゲンビリアが咲いていました。
誰が、いつ頃、どんな思いで植えたのでしょうか。




「散歩をする」まとめはこちら
地図に関する記事のまとめはこちら