正しさより正確性を 12 <「正しさ」との闘いに距離を置く>

毎日、ニュースの続報を待っていました。
おそらく資格停止処分が短縮されるだろうという、私の期待は甘かったようです。


競泳 古賀が不服申し立て ドーピングで資格停止に不満


競泳男子で2018年リオデジャネイロ五輪代表の古賀淳也(31)=第一三共=がドーピング違反で国際水泳連盟FINA)から科された4年間の資格停止処分に対して、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に不服申し立てをした。古賀の代理弁護士が2日、明らかにした。申立ての日付は10月31日。


古賀の代理弁護士によると、古賀は3月に世界反ドーピング機関(WADA)に夜抜き打ちの尿検査を受け、筋肉増強作用のある禁止薬物が検出されていた。8月のFINA公聴会では、摂取していたサプリメントに成分表示のない禁止物質が混入していたとする分析結果を提出。検出されていた物質の資格停止期間は原則4年だが、重大な過失はないとして2年以下に短縮するよう求めていた。


しかし、FINAは「立証責任を満たすだけの信用性が認められない」として主張を退け、10月25日付で4年間の資格停止処分を受けていた。


どうしたらこの場合、「信用のある立証」が可能なのだろう。
そもそも、実際にサプリメントに混入していた禁止物質は、その量を摂取することで競技にどれくらいの効果があるのだろう。
むしろ「そのサプリを摂取することで体調を壊したので止めた」のだから、選手への健康被害の方が問題で、普通に考えれば製造・発売元に非があると思うのですけれど。


<犯罪よりも重いのか>


そのニュースをネットで読んでいたら、画面の下の方にePlayexというニュースサイトか何かの動画が同時に流れてきました。


「五輪広報官 ブラジル国民がこの件で侮辱されたと思っているのが明白」とあり、「アメリカオリンピック委員会は謝罪した。ブラジル国民はこの謝罪を受け入れ、この件を終わりにしたいと思う。この件が今回の五輪を代表するような出来事になるとは思わない。実際問題、五輪の中で今回起こったことが歴史の中でさほど重要視されることはないと思う。重要なことはその選手がどれほど貢献したかである」というインタビューの動画でした。


「この件」というのは、ロクテ選手を含む4競泳選手が酔ってリオデジャネイロ市内の店を壊したのに強盗にあったと偽証した事件だと思いますが、この件でアメリカオリンピック委員会は10ヶ月の停止処分としました。
スポンサーも失い、名声も失ったロクテ選手はその後どうしているかと、久しぶりに検索したら、なんとドーピングで14ヶ月の資格停止を受けていました。


リオの事件よりさらに長い資格停止期間ですし、「競泳のロクテ、ドーピング違反で資格停止 許可得ず静脈注射」(AFP 2018年7月24日)のタイトルだけ見ると、どのような注射をやっちゃったのだろうと思ってしまいますが、内容はこんな感じでした。

USADAによると、ロクテは禁止薬物ではなく、治療使用特例(TUE)なしに静脈注射を受けていたため処分を受けた。選手らは通常、治療の一環や特例を認めた場合のみ、静脈注射を受けることができる

USADAはロクテが調査に「全面的に協力した」ことを明らかにした上で、「ロクテはTUE無しで、インフージョンクリニックにおいて12時間の間に100ミリリットル以上の合法薬物の静脈注射を受けた」と述べると、同選手が処分を受け入れたことを捕足した。

あの屈辱的なドーピング検査で発覚したのではなく、ロクテ選手が静脈注射を受けている写真をSNSに投稿していたことが調査につながったとのこと。
「妻と息子の具体が悪くなったため、予防措置」のための注射だったそうです。


「意図的に反ドーピング規則を破ろうとしたわけではない。残念ながら、規則が新しくなっていて、それはあまり知られていなかったとしても、しっかり把握しておくべきだった」と打ちひしがれた様子で記者会見で説明したことが書かれていました。


あのリオの事件でもうロクテ選手は引退だろうと思ったのですが、「過ちを犯した人を再び生かす」土台があるのがアメリカだと、復帰したときには納得したものでした。
ところが、合法の薬物をクリニックで静脈注射しただけで、あの事件よりは長い資格停止処分が課されたようです。


翌日のAFPニュースでは、「ロクテへの厳しい処分、他の選手からは評価の声『他国も追従を』」という記事がありました。
私には、選手たちがその厳しさに違和感や疑問を持つこともやめてしまい、反ドーピングという正義の雰囲気に怖れをなしているようにしか見えない発言でした。


ニュースもうがった見方をすれば、WADAの調査に協力的な態度で処分を受け入れればお咎めも穏便に、と読めますしね。



<「正しさ」との闘いに距離を置く>


「ドーピング違反」で資格停止処分を受ける選手のニュースを読むたびに、こちらで紹介した本の訳者解説に書かれていることがますます強まってきているのではないかと思えました。

哲学者、社会学者、医者など、立場を異にする本書の執筆者たちが、一貫して疑いの眼差しを投げかけているものこそ、このような競技スポーツと健康との結びつきに他ならない。プロのレベルに近づくにつれてチームドクターへの依存を強める現代のスポーツ選手たちは、はたして「健康」なのだろうか?仮に健康であるにしても、その「健康」は一般的な意味とはかけ離れたものであると指摘するのは、哲学者のジャン=ポール・トマである。「偉大なスポーツ選手が健康であるのは、1年のうちの数日の、決められた試合のための、決められた数時間だけなのだ」。満身創痍で日常生活もままならないような選手が、痛み止めを打って大事な試合に出場するという姿を、私たちは何度目にしてきたことだろう。同じく哲学者のイザベル・クヴァルもまた、「超医学化するエリートスポーツが、「適度な」健康という定義からどれほど遠ざかっているのかは明らか」だと断じる。


今回たとえ、古賀選手の不服申し立てが反ドーピング運動の正義からは認められなくても、広い社会にはもっと違う正義の捉え方があり、彼を応援してくれる人もいることでしょう。
どのような結果になるかわからないのですが、今の時代の「正しさの雰囲気」に適度に距離を置きながら、身の潔白を証明を続けてくださればと思います。
たとえ、WADAやFINAから「黒」「グレー」と判断されたとしても、10年後には「正義」なんてうつろうものだから。




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