散歩をする   95 <日本経緯度原点>

地図の基本である測量について書かれたものを読むと、三角点水準点そして海からの高さの基準になる基準水準点と、もうひとつ、「日本経緯度原点」があります。
「近代測量の幕開け」の展示ではその日本経緯度原点については、「日本の位置の基準となるもの」という説明がありました。
確かに、正確に測量されても、その位置が地球上のどこにあたるのかがいい加減だったら、世界地図の中では意味をなさなくなってしまいますね。
いやはや、地図というのは本当にとてつもない観測データーの積み重ねなのだと、ただ地図が好きで半世紀ほどきたけれど今更ながらにその専門性の高さに驚いています。


その日本経緯度原点が都内にあることはなんとなく記憶にありましたが、展示の中で「麻布台」にあることを見つけて俄然、興味が出ました。
あの、国会北庭園にある日本水準原点へ行く途中、麻布台を通ったのでもしかしたら見逃したのかなと帰宅して検索したら、「港区にあるアフガニスタン大使館(旧国土交通省狸穴(まみあな)分室)脇の空き地に設置されている」とあります。


地図で確認すると、あの青山上水を歩いた時に通った、ロシア大使館のあたりです。
ロシア大使館は、渋谷川(古川)の河岸段丘の絶壁のような場所に立っていると、正面側から見ただけで思い込んだのですが、本当の「きわ」に立っているのは、このアフガニスタン大使館と、日本経緯度原点だったようです。


<神谷町から狸穴へ>


今回の散歩のスタートは日比谷線神谷町駅からにしました。
時々通過するので名前と場所は覚えているのですが、降りたことがない駅です。
地上に出て、すぐに登り坂の道になります。
左手に東京タワーを見ながら国道1号線桜田通り)の飯倉交差点まで結構な登り坂で、右側の八幡神社の境内も見上げるほどの階段を登るような地形の上にありました。
なるほど「神の谷」ですね。


青山上水は現在は外苑東通りになっている場所ですが、それを訊ねて歩き飯倉交差点にきた時に、まさに「尾根伝い」に芝給水所へ向かって作られていたことを感じました。今回、こうして別の方向の国道1号線側から歩いてみると、下から見上げるような尾根であった地形がはっきりとわかりました。


飯倉交差点からロシア大使館と外務省飯倉公館がある方向にかけて、警備中の警察官の数が増えていきます。
横断歩道を渡ろうとしたその時、待機していた機動隊のバスから数人の警察官がなにやら慌てた様子で駆け寄ってきたので、ドキッとしました。
もちろん私に対してではなかったのですが、これからロシア大使館横の道を歩いて日本経緯度原点をみることができるのか、ちょっと心配になりました。
大使館横の脇道にはあちこちに警察官が立っていて、おそるおそると曲がったのですが、特に何も言われることもなくほっとしました。


以前、地図でロシア大使館あたりを眺めていた時には見落としていたのですが、ロシア大使館のすぐ後ろに 東京アメリカンクラブがありました。こちらの記事で書いたように、東南アジアのある国で暮らしていた時に大使館関係者のゲストとしてしか入れなかったアメリカの施設があったのですが、それに似たようなものでしょうか。
その先の崖の上に、アフガニスタン大使館があり、今回の目的の日本経緯度原点がありました。


Wikipediaの「沿革」を読むと、1874年(明治7年)に海軍の施設として観象台が設置され、1892年(明治25年)に参謀本部陸地測量部この天文台の子午環の中心を日本経緯度原点として定めたとありますから、明治以降、この場所は軍や政府関係の施設がおかれてきたのでしょうか。
それが現在は、ロシア、アメリカ、アフガニスタンの施設が顔を突き合わせているようになっているのですが、こうした大使館関係の施設を建設する経緯はどんな風になっているのだろう、誰が決めるのだろうと、ちょっと関心が湧いてきました。


<原点も移動する>


原点とか基準点というと、なんだか永遠不滅に変化しないかのような確固たるものに聞こえていたのですが、地震というのはそれさえ移動させてしまう力があるのですね。


地図と測量の科学館の展示でも、東北にあった水準点があの東日本大震災で5.2mほど移動したことが説明されていました。
日本水準原点も、そしてこの日本経緯度原点も移動したために改正されているそうです。


地表の営みというのはなんと頼りないものか、そしてそれをできるだけ正確に把握しようとする観測方法や技術が築き上げられているということを考える機会になりました。




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