もし、あの頃、こうしていれば 1 <これからの周産期医療はどこへ向かうのだろう>

「歴史にもしはない」とか「歴史にもしは禁物」とどこかで耳にしてきたのですが、それはどういう意味で、どこから言われ始めたのだろうと検索して見ましたが、わからないとする説明ばかりでした。
干拓とか用水路とかの歴史を探って歩いていると、歴史とは何かから考え直さなければならないのかもしれないと思うようになりました。
歴史といっても、立場によって見方が変わり、書き方や解釈もさまざまですね。後世の人には残されていない、伝わっていない事実の方が多いのかもしれません。


さて、今日は一助産師としての「これからの周産期医療と看護はどこへ向かうのだろう」「あの時にこうしていれば、今はもっと違っていたかもしれない」という妄想です。
理想と現実は厳しいですから、何ごとも理想通りにはいかないのですけれど。


<分娩施設の集約化へ>


私がネット上で周産期医療についての情報を読み始めたのが、2004年の産科崩壊と言われた時期でした。
現在20代30代のスタッフにしてみると、十数年前というのはへえー、そんなこともあったのですかという昔話になってしまうようです。


2004年頃、私はちょうど総合病院から産科診療所に移った頃でした。
総合病院に比べると緊急の対応や合併症の管理には不安はあったのですが、ある程度、異常時の経験を積んだ時期だったので、より迅速に判断できることが産科診療所でも生かされるのではないかと思えたのでした。
当時はまだ周産期ネットワークシステムが整備される前でしたが、妊娠・分娩・新生児に対して高度な医療が必要な場合の搬送の経験が日本の中でも積み上げられてきた時期だったのだと、思い返しています。


ですから、ある程度総合病院で経験を積んだ助産師が働く場所として、産科診療所は理想的ではないかと思えました。


ところがちょうどその頃から、産科診療所の閉鎖が増えていきます。
それまで24時間365日拘束されるような中で、地域の出産に責任を負っていた産科医が高齢化で引退される時代に入っていました。


私が生まれた1960年代初頭は、まだ半数が自宅での出産でした。その少し前になると9割が自宅での出産で、良くて助産婦が分娩介助し無介助分娩も当たり前、医師の治療を受けることが夢のような時代だったことを知ったのが、その時代に産科診療所を開業された先生方のことが歴史としてようやく見えてきたからでした。


2000年代は急速に産科施設の集約化に向かいました。
理由はいろいろとありました。
周産期医療へより安全性を求める時代の雰囲気が強まり、急変に迅速に対応するためにはマンパワーが必要ですから集約化はやむなしという点はしかたがないことです。
出産はうまくいって当たり前になり、どのように対応しても無理だったのではないかと思われる状況まで訴訟になる時代に、産科医・小児科医への責任の重さと過重労働は尋常ではないものでした。


90年代ぐらいまでの、一人の産科医が分娩施設を守るのでは時代に合わなくなり、複数の産科医そしてできれば小児科医も分娩に立ち会うことが求められるようになった時代だったのかもしれません。
また、周産期医療の知識や技術の急激な進歩に、昔ながらのやり方では対応していけないことも産科診療所が地域から姿を消していった理由かもしれません。
2000年代ごろから新たに開業した産科診療所の施設案内を読むと、複数の医師がいることが主流になった印象があります。


2004年頃の変化として、大学医局からの公立の総合病院や関連病院への派遣の打ち切りの影響で、総合病院でも産科休止が相次ぎました。
地域で分娩する場所が減って、自然と分娩施設が集約化されていきました。
「地域で唯一の産科診療所が閉院」といったニュースを聞くたびに、周産期医療はどうなってしまうのだろうと思います。



<分娩施設の集約化以外に何か道はないのだろうか>


私が住み働く地域は新たに産科診療所もできたり、周産期センターへの搬送も決定から搬送まで1時間以内にはできるので、今の日本の中では恵まれた地域だと思っています。
離島や分娩施設まで数十キロ車で走らなければ行けない地域もありますし、 自然が立ちはだかっているような地域もあります。
苦渋の選択で集約化に踏み切った地域からすれば、恵まれた地域のたわ言かもしれません。


ただ、恵まれているように見える地域でも、妊娠4、5週で受診しても断られるくらい産む場所を探すだけでも大変な状況もあります。
産む場所に困るという話を聞いたことがなかった時代を経験しているので、なんでこんなことになったのだろうと、記憶をいろいろと遡ってはあれこれと考えています。


だいたいの医師も助産師・看護師も卒後は大学病院や周産期センターで基礎的な研修を受けることが多いのではないかと思いますから、産科診療所からの搬送を受け入れる側をまず経験されることでしょう。
ですから、「搬送を必要とするくらいなら、最初から大きな病院で分娩を扱った方が」と感じるのは想像できます。
ただ、ある程度の経験を積めば、やはり産科診療所のようなところで働いてみたいと思うのではないか。


「もし、あの頃、こうしていれば」、いまも周産期センターから産科診療所まで、あるいは助産所までバランスよく地域の周産期医療を担いあっていたのではないかと思ったことを不定期になると思いますが、書いてみようと思いつきました。
「歴史にもしはない」と、読み流してくだされば幸いです。





「もし、あの頃、こうしていれば」まとめ。

<2018年>
2. 経験を積んだ助産師は産科診療所へと
3. 10年やってわからなかったコツが20年やってわかる
<2022年>
4. 時代と状況を見誤らずにいたら

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