もし、あの頃、こうしていれば 2 <経験を積んだ助産師は産科診療所へと>

正直なところ私は全国の助産師の全体像を知るほどの立場にもないし、まして産科医や小児科医など周産期医療全体についても漠然とした情報しかないのですが、「もし、あの頃、こうしていれば」2004年の産科崩壊と言われた時期ももう少し違っていたのではないか、現在の分娩施設の集約化ももう少し違っていたのではないかなど、思うところがあります。
2004年以降いろいろな資料や意見を読んで考えていたことを、書いてみようと思い立ちました。


助産師側が時代の変化を読みきれていなかった>


数年前でしたが、看護職の就職を斡旋する会社の方から、「今は助産師さんたちに産科診療所がとても人気がある」という話を聞きました。


こちらの記事に書いたように、30年ほど前に私が助産師になった頃には考えられないような変化だと感じました。
まず、産科診療所についての情報もほとんどなく、その存在さえよくわかっていませんでした。
「何かあった時のために、大きな病院でなければ不安」というところがありました。


ところが、ある程度経験を積んだら「医師のいない助産所で家庭的なお産」をしたいと思っていたのですから、なんとも矛盾した感情です。
これは私だけでなく、当時の教育が「地域で働く=開業すること」という雰囲気が強かったことに影響されていたと気づいたのは、後になってからでした。


医師がすべての分娩に立ち会うことさえ叶わなかった1960年代初頭から、産科診療所が日本の分娩の半数を担うようになってきた歴史でさえ、助産師の教育では語られることがなかったのでした。


2004年以降、産科医と助産婦(2002年に現在の助産師に改称)の確執の歴史をいろいろと知ることとなりました。
産科診療所が、産科看護学院を作り独自に産科看護婦という資格を作っていたことも初めて知りました。
それに対して助産婦側からの反発が相当なものであったことは想像に難くありません。
ただ、どの資料だったかわからなくなってしまったのですが、1960年代、70年代ごろは産科診療所で助産婦を募集してもほとんど応募がなく、やむなく設立に至ったという話を読んだ記憶があります。


より安全なお産のためには助産師だけで開業するという時代ではないと思っている助産師が大半だろうと思う現代でも、「正常なお産は助産師だけで」といろいろな制度が作られていくのをみると、当時は、「産科医のもとで一緒に働くなんてとんでもない」という感情がかなり強かったのだろうと想像しています。


1960年代、70年代ごろに、「これからの時代は医師とともに分娩介助する時代である」と見抜けていたら、それまで開業して経験豊富だった助産婦が産科診療所で働き、新たな時代の助産師のキャリアパス周産期センターや総合病院で経験を積んだ後に産科診療所に移り、正常な経過から異常まで責任を持って対応できる継続的なものとなったことでしょう。


なぜ、助産師教育では産科診療所について教えようとしなかったのか。
周産期医療の全体と展望というものが見えていなかったというより、あえて見ないようにしていたのではないかと思えます。



<もし、助産師が産科診療所を認めていたら>


もし助産師側が開業にここまでこだわらなければ、産科診療所はさまざまな機能を持って地域に密着した周産期医療の拠点になっていたのではないかと思います。


分娩が病院や産科診療所へと移行し、開業助産婦が死活問題に陥った時に乳房マッサージに活路を見出した歴史を考えると、本当に残念だと思います。
「授乳方法が適切か(きちんと成長発達しているか)」が、不要なマッサージが中心の「母乳育児相談」になってしまいました。
正常から逸脱しているはずの乳腺炎助産師単独の判断でみることが当たり前になってしまったのも、開業へのこだわりが理由だったことでしょう。
産科医や小児科医と相談しやすい産科診療所の体制を整えて、その中で授乳や育児相談、あるいは乳腺炎の管理も含めた産後の支援の拠点にできたのではないかと思います。


あるいは、地域の新生児訪問も現在のように保健センターと開業助産師やフリーの助産師との契約ではなくて、産科診療所付属の訪問看護センターを作って保健センターと関わっていったほうが、助産師個人の思い込みや価値観の強い関わり方を排除しやすかったことでしょう。


産科医や小児科医の過重労働を改善するのが最優先のいまの時代で、分娩施設の集約化は一時的には仕方がないとしても、もし助産師が時代の流れを読み取っていたら、助産師にとっても産科診療所は理想的な場所になっていた可能性が大いにあると思います。




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