今回も倉敷・岡山周辺を歩いた回想なのですが、あちこちを歩いてみてとても印象的だったことは、用水路や川にゴミがほとんどなかったことでした。
季節は晩秋ですから落ち葉が大量に出て木枯らしが吹く時期にもかかわらず、街中の小さな川や用水路から、干拓地をぐるりと囲んでいる大きな用水路まで、本当にゴミがほとんどありませんでした。
あちらこちらをふらりと散歩をするようになり、特に水辺を歩くことが多いので、どうしても水路に沈んでいるゴミに目がいきます。
明らかに川に投げ込んだのだろうと思うものから、おそらくその辺りに捨てられたゴミが風に飛ばされて落ちたのだろうというものが目につきます。
中には二ヶ領用水沿いのように、「用水路の柵にゴミ捨て場が設置されている」という状況もあります。
ただ、それに対して対策もたてられていることも、下水や排水を気にしながら散歩をして見えてくるようになりました。
あるいは東京湾の掃除船や浚渫船とか、水路から海までこうしたゴミが集められていることもイメージとしては知っていましたが、実際にそういう施設を見てみると、社会生活基盤が緻密に計画され維持されていることがすごいと思います。
「水辺はゴミや生活排水を処理する施設に近い感覚」で川にゴミや下水が捨てられ、東京の住宅街もゴミ都市と言われていた半世紀前、そして、1980年代でさえまだ資源ごみとかリサイクルという言葉がなかったことを考えると、東京近郊も本当に水辺が綺麗になったと思っていました。
<その水は児島湾へ流れていく>
半世紀ほどの東京近郊の水辺の変化と比べても倉敷や岡山の水辺のゴミのなさはどうしてだろうと思いながら歩いていると、正確な表現は忘れてしまいましたが、「その水は児島湾へと流れる」といった環境美化啓発の看板を見かけました。
児島湾の干拓の歴史を考えると、「公害」とか「環境問題」という言葉や概念が広がった時代よりもはるか昔から、水が行きつく先が児島湾の干拓地であり、自宅から離れていても自分たちの生業や生活と切っても切れないものであるという意識があったのでしょうか。
その地域の方々の意識がどうなのかはわかりませんが、もしかしたらこれが水路にゴミが少ない理由かな、と感じたことがありました。
それは用水路の上に、またがるようにゴミ捨て場が設置されていたことです。干拓地の貴重な土地ですから、道路にゴミ捨て場を設置するのではなく水路の上を有効活用しているのでしょうか。
外観上はちょっと無粋なのですが、四方を金網で覆われた小さな小屋になっています。
二ヶ領用水も同じように用水路のそばがゴミ捨て場として利用されているのに、結果が大きく違うのはなぜでしょうか。
ひとつは金網で小屋にしてあることと、ゴミの上からネットをかける方法の違いがあるかもしれません。
私の家の近隣を見ても、カラスよけのネットだけだと風が吹いただけでゴミが散乱してしまいますが、折りたたみ式のしっかりしたゴミ入れを利用している場所ではそういうことはなさそうです。
たとえ、捨てる人がルールを守ってゴミ場所へ捨てたとしても、かけるだけのネットでは不十分なのは歴然としているのですが、なかなかあの折りたたみ式のものが採用されないのは経済的な理由でしょうか。
その点、倉敷周辺で見た用水路のゴミ置場はどれもしっかりとした小屋になっているので、そこに入れたゴミが用水路を汚すことはなさそうです。
たかがゴミ置場かもしれませんが、こういう社会生活基盤にきちんとお金をかけるかどうか、すでにその動機の違いが大きな結果の差になっているのかもしれないと、勝手に推測しながら用水路の上のゴミ置場を見ました。
そしてその意識の中には無意識のうちに児島湾があり、水路にゴミが流れたらどうなるかということを子どもの頃から教わる機会があったのではないかと思ったのですが、事実はどうでしょうか。
私が住む場所なら、ゴミの問題はせいぜい憎っくきカラスからゴミをどう守るかぐらいで、このゴミがどこへ飛んでいってしまうかまで意識して生活していないのかもしれません。
それにしても、川や用水路の水の流れが本当にきれいでした。