優生保護法に関する記事を最初に読んだ時に感じた違和感が、少しずつ見えてきました。
記事の前半の、「優生保護法は『新兵器』のようなものだった」「結核患者も子どもを産むなと言われた時代」から、記事は一転して「気づいたら産まなくなっていた」「『産むことを自分で決める権利』とは」になり、最後は「密室で決められる出生前診断診断のルール」になり、最後は著書の写真で締めくくられていました。
ああ、なんだ、この前半と後半のつながりのなさは、自書の宣伝のためだったからなのかと理解しました。
「気がついたら産めなくなっていた」の中で、こう書かれています。
現代女性たちの高齢妊娠や不妊治療経験談を取材し続けてきた私は、強制手術を受けた方の出産は一度も取材したことがないのに、同じ根を持つ悲しい話をたくさん聞いてきたような気がして仕方がない。
「強制手術を受けた方の出産」というのも矛盾した言葉ですが、それはさておいて、この旧優生保護法で不妊手術を強制された方には取材されていない上での記事だったことで、内容の辻褄の合わなさが理解できたのでした。
*精神疾患とらい病*
優生保護法による不妊手術と聞くと、まず思い起こすのが精神疾患とらい病の方々のことです。
1980年代初頭に看護師になった頃はまだ、精神の正常と異常で書いたように精神疾患の分類も大まかで、そして現代のように誰でもなり得るという身近な疾患ではないものでした。今でも自宅で家族に監禁されて亡くなる方のニュースがありますが、1980年代ごろというのはさすがに自宅牢はなくなったとしても、精神病になれば精神病院で一生過ごすかという社会の暗黙の恐怖心のようなものがまだまだ残っていた時代だったと思い返しています。
らい病も一度かかると郷里を遠く離れて一生療養所で過ごさなければならない強制隔離政策が行われた時代があり、そうして入所した方たちがどのように生活されているか、看護学生の頃に学びました。
医学的には隔離の時代ではなくなっても、一旦、隔離された方々が社会に戻ることの難しさは単純な話ではないと強く印象に残りました。
患者さん本人はもちろん、家族や周囲の社会、あるいは医療者側、それぞれに何をどうしたらよいのか正解のない中での葛藤があったことでしょう。
全体を把握することは無理だとしても、一人でも多くの当事者の声が書かれているかと、期待してこの記事を読み始めたのでした。
例えば天然痘の歴史のように。
*出産のファンタジーにされてしまった「事実」*
冒頭の記事では、「出産を個人の幸せの問題」「リプロダクティブヘルスの権利を奪われた」「命のバトンを次世代に渡せる『時間』を失って不妊になった。結果的に子どもを持ちたくてももてない身体になったということにおいては、同じだ」「国民には、まだ『けじめ』がつけられていない富国強兵政策の生殖政策が、いつ何時ゾンビになって出産の強制を迫ってくるかわからないという不安」といった言葉が並びます。
威勢の良い言葉が並んでも、結局何が言いたいのかわからないのは、この記事と同じ。
根底には、たまたま自分が助産所でうまくいった結果だけを理想の物語にして、世の中に広がらないのは医療のせいと感じているのと同じものがあるのだろうな、と。
1990年当時、妊婦さんの高齢初産化と30代の出産の増加という、人類の歴史では初めてのことに対応していた医療現場も見えていなかったのでしょう。
それぞれの当事者には、それぞれの違う思いや事実もあるのですけれど。
ジャーナリストってなんだろう。
「事実とは何か」まとめはこちら。